2020/8/26

――SNS上の誹謗(ひぼう)中傷をどうみていますか。傷ついた女性プロレスラーが亡くなる問題も起きました。

「ちょうどこの本をほぼ書き終えたころにそのニュースが飛び込んできて、エピローグを書き直しました。世の中には著名人ほどの規模はなくても、本当に小さな数百人、数十人の規模でも、(SNSなどを通じて)外に出す自分と、本当の自分のギャップに悩んでいる人がいるんじゃないか、と」

「今のSNSは、利用者が自分の存在価値を、リツイートとか『ふぁぼ(いいね!)』で評価するしかけが巧みになっています。僕はその数字や書き込みを見ても、それが自分自身を示すというより、自分の作ったものや語っていることへの反響だという認識で耐えることができましたが、もし何百万もの人々が視聴しているリアリティー番組への出演で誹謗中傷にあったとき、同じように耐えられるのかどうか、正直わかりません」

――どうすれば自分を追い込まずにいられるでしょうか。

張さんは「対面に勝るコミュニケーションはない」と語る

「SNSで炎上し、たくさんの反応が来ると、世の中みんなが自分をたたいているように錯覚してしまいます。理性はどこかに飛んでしまい、恐怖に支配されてしまう。誰でもそうなります。自分の経験でいうと、そんなときはスマホを閉じて街に出るだけで、感覚が絶対に変わるし、フォロワーの外側に目を向ける機会にもなるように思います。もし周囲に巻き込まれ、苦しんでいる人がいたなら、君の価値はそこじゃないんだよ、という当たり前のことを伝えるしかない」

「対面に勝るコミュニケーションはないとも思っています。関係を崩したくない相手とLINE(ライン)でトラブルがあったら、いったんそのやり取りをやめて会う。目的はあくまでコミュニケーションで、SNSは手段にすぎないのですから」

自分で考え、決める力が奪われる

――今のご自身の視点で、SNSとはどんなものだととらえていますか。

「僕らやもっと下の世代にとって『なぜSNSを使うのか』という質問は『なぜ人間はしゃべるのか』『なぜ学校に行くのか』と同じようなものです。この世代の特徴のひとつは、(不特定多数が受発信できる)ツイッターと(知り合いがやりとりする)LINEで区別がない、つまり、パブリックとプライベートの境界があいまいになっていることだと思います。さらに言うと、自分と他人との境界線すらなくなるというか、自分の考えていることの全部が外に漏れ出て、逆に他人の考えも何のフィルターもなく自分の頭に入ってくる。『自分で考え、自分で決める』人間の思考力が奪われているように感じています」

「SNSでは誰もが攻撃する側にもされる側にもなり得ます。(誹謗中傷の線引きが難しく)利用を制限したり機能を変えたりするだけで解決するものではないでしょう。便利なものが生まれると、それによって何かしらマイナスが生じるトレードオフの問題にどう対応するのか。これは哲学や優先順位の置き方で答えが違います。世の中のほとんどの物事には決まった答えがなく、それでも考え続けるのが一番大事なんだということを、例えば公教育でもきちんと学ぶことが現状をよくする1つのカギかもしれません」

――多くのフォロワーを抱えていた自分を捨てるのは簡単ではなかったのでは。

「元の自分に戻ったという表現が正しいのかもしれません。今でも自己承認欲求というのはすごくありますが、それを世間に向けず、仕事のチームや友人ら身近なところに振って解消できている。これまでの10年の自分と違うという気がしています」

「『Tehu』という人格も、僕の中で否定はしていないんです。何というか、卒業。本も出したし、秋ぐらいに『お焚(た)き上げ』をやろうと思っていて。『ありがとうTehu』みたいなセレモニーをして、供養したいと思っています。決して存在を否定するとか、なかったことにするわけではなく、過去にこういうのがありましたけど、それをいったん違う世界にお送りして、僕は新しくなりますよ、そういう意味合いです」

(聞き手はライター 高橋恵里)

張惺
1995年、兵庫県生まれ。灘中学校に入学後にプログラミングを独学し、中3のときにiphoneアプリを開発して注目された。「Tehu(てふ)」のハンドルネームで活動し、「AERA」(朝日新聞出版)の「日本を突破する100人」や「東洋経済オンライン」の「新世代リーダー50人」にも選ばれた。2014年に慶応義塾大学環境情報学部に入学し、休学を経て20年に卒業。現在はチームボックスCCO(チーフ・クリエーティブ・オフィサー)などを務め、コミュニケーションに関わるサービス開発を中心に取り組んでいる。

(下)【社会に欠かせぬ「問う力」、SNSで衰退 炎上で知る】

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