米「殺人スズメバチ」騒動が示す 危うい異常な虫嫌い

日経ナショナル ジオグラフィック社

恐怖を乗り越える

ロックウッド氏によれば、ヒトは生まれつき昆虫に注意を向けるようにできている可能性が高い。昆虫は重要な食料源であると同時に、刺したり噛んだりする種の場合は潜在的な脅威でもある。だがしかし、文化的に刷り込まれた昆虫に対する嫌悪については、進化的に有利でも説明可能でもないと、ロックウッド氏は補足する。

米国では昆虫やクモに対する恐怖や嫌悪が悲しいほど広まっているが、他の国ではそれほど一般的でないと、米パデュー大学の昆虫学者で啓発活動のコーディネーターも務めるグウェン・ピアソン氏は話す。

例えばアジアでは、カブトムシやクワガタムシなど様々な昆虫が愛され、ペットとして飼育されている。ピアソン氏によれば、日本や中国では、オオスズメバチも敬意や畏怖の念を抱かれているという。

また、米国先住民のラコタ族をはじめ世界中の先住民社会の創造神話で、昆虫やクモは重要な役割を果たしている。

さらに、バッタから幼虫やアリまで様々な昆虫が世界中で常食されている。オオスズメバチもその1つだ。アリゾナ大学のシュミット氏によれば、オオスズメバチの幼虫は炒めて食べるとおいしい食材だとされているという。

米国では、虫に対する嫌悪は学習によって、多くは子ども時代に身に付く。ロックウッド氏はその他の原因として、昆虫に関する教育の不足と、有意義な体験の欠如を挙げている。ゴキブリなどの都市に暮らす昆虫との遭遇もマイナスの体験となっている。

ピアソン氏は大学で、様々な昆虫やクモが暮らす「パデュー虫動物園」を運営しながら、人々が虫に抱く感情について来訪者と会話し、誤解を正そうと取り組んでいる。「私は昆虫セラピストを自称しています」

例えば、大きなタランチュラは多くの人にとって恐ろしい存在だが、挑発しなければ噛みつくことはなく、ペットとして飼うこともできるとピアソン氏は説明する。

「タランチュラを私の手に乗せ、子どもたちに見せています。痛いことはしないし、みんなも大丈夫だよ、と教えるのです」

ピアソン氏はよく次のような事実を人々に伝えている。北米には、知られているだけで3000種以上のクモが生息しているが、人にとって危険なのはドクイトグモとクロゴケグモの2種だけだ。しかも、この2種が人の命を奪うことはほとんどない。ドクイトグモは一般的に人を死に至らしめることはなく、クロゴケグモも死亡例が35年以上記録されていないという。

ピーコックスパイダーの一種(Maratus robinsoni)。外見が魅力的なだけでなく完全に無害だ(PHOTOGRAPH BY JURGEN OTTO)

知れば態度も変わる

前向きな体験がたった1度か2度でもあれば、昆虫に対する態度は簡単に変わると、ピアソン氏は実感している。

知識を深めることにも同様の効果がある。例えば、昆虫は花を咲かせる植物の4分の3、作物の3分の1以上に授粉している。

昆虫の多様性を知ることも重要だ。米ペンシルベニア州立大学の昆虫学者ナタリー・ボイル氏によれば、地球上にはハナバチだけで2万種以上が存在するという。「あまり知らないことについては、その良さはわからないものです」

世界中で昆虫が減少している今こそ、「私たちと共に生きる無脊椎動物の仲間たちに敬意を持ち、尊重する方法について考えるべきです」とボイル氏は話す。

(文 DOUGLAS MAIN、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年8月9日付の記事を再構成]

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