中華料理人・陳建一さん 楽しく明るく、懐深かった母
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は中華料理人の陳建一さんだ。
――ご両親は国際結婚だったそうですね。
「父は四川料理の第一人者といわれる陳建民です。食べた人から『おいしい』と言ってもらうことに幸せを感じ料理を作り続けた人でした。日本人の母はその料理にほれて一緒になった。父の料理を日本のみなさんに知ってもらうため、父の通訳代わりにあちこち一緒に行って四川料理を広めました。父を有名にした最大の功労者でプロデューサー的存在でした」
「包容力があって『洋子ママ』と慕われました。客が来ればあいさつ代わりに『もうごはん食べたの?』と我々と一緒に食卓につかせました。父を頼り中国の人たちがひっきりなしにきましたが誰でももてなし、家の中心にはいつも母がいました」
「父は中国に3人の子どもがいました。私にとって異母兄弟です。3人が来日したとき、母は我が子のように接しました。結局、母は父の料理にほれ、父の全てを受け入れていたのだと思います」
――料理人になるよう勧めたのもお母様とか。
「物心ついたころから母は毎晩、就寝前に『あなたは大きくなったらコックになるんだ』と私の耳元で3回ささやき、私を寝かしつけた。私も食い意地が張っていたから疑問を感じませんでした」
「父から料理を教わったことはありません。たまの休みの日に、父は台所に立ち、私たちに卵やベーコン、キャベツなどを買いに行かせる。それとあり合わせの物で料理を作ってくれました」
「調理中っていい音がするんですよ。カシャカシャ、シャーン、コンコン。音楽のようで心地いい。そして魔法がかかったようなおいしい料理が目の前に出てくる。家に居候する中国人たちも一流の料理人ですからまかない飯がおいしい。『カッコいいな』と見よう見まねで覚えました」
――お母さんからは。
「教育、しつけはほとんど母の担当でしたね。時間を守らないとか勉強しないとか、何かしらの理由で毎日ひっぱたかれていました。母はトイレの壁に紙を貼り人生訓を子どもに読ませました。覚えているのがボタンの逸話です」
「『人間はボタンをするけれど付けたままだと疲れるから、1個外しなさい。そうすれば楽になるから。それから2個外し、3個外す。そのときに全部外れているよと言ってくれる人がいたらありがたいね』っていう話です」
「質素、節約についての話もありました。しかし母の面白いところは言っていることとやっていることがまるきり違うこと。げた箱には外国の女帝みたいに高級ブランドの靴がびっしり並んでいました。母は1998年に68歳でなくなりました。『人生楽しく明るく』がモットーの彼女のおおらかさを私も受け継いでいると思います」
[日本経済新聞夕刊2020年8月18日付]
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