聖なる湖に沈む捧げもの インカ、血の儀式と関係か
16世紀初頭に栄華を極め、アンデス山脈沿いに現在のコロンビアからチリまでの一帯を征服していたインカ帝国にとって、ティティカカ湖は神聖な場所だった。現在のボリビアにあるティティカカ湖南部の「太陽の島」に寺院などを80以上建造し、インカ帝国はさまざまな儀式を行った。その創造神話によれば、太陽の島に存在した1つの岩から、太陽神と最初の祖先が現れたという。祖先たちは熱心に祈り、ティティカカ湖に捧げものを沈めた。
2020年8月4日付で学術誌「Antiquity」に発表された論文は、インカ帝国の信仰体系について新たな洞察をもたらしている。インカ帝国の信仰には政治や豊穣祈願、海の女神ママ・コチャのほか、世界最大級の湖を濁らせる血の儀式が関わっていた可能性が高い。
国際的な考古学者のチームはボリビアとペルーにまたがるティティカカ湖で水中調査を行い、水深約5.5メートルの岩礁で、安山岩という地元の火山岩でできた箱を発見した。箱の寸法は35×25×16.5センチほど。岩には捧げものを入れるくぼみがつけてあり、丸みを帯びた石でふさがれていた。500年以上前に沈められ、そのままの状態を維持していたようだ。
箱の中には、小さな金の薄板を円筒状に丸めたものとウミギクでできたリャマの像が入っていた。ウミギクは二枚貝の一種で、サンゴ色の貝殻にとげが生えており、希少性が高い。リャマは荷物を運ぶ動物として重宝されていた。金の円筒はチパナのミニチュアだと、研究チームは推測している。インカ帝国の貴族が右腕にはめていたブレスレットだ。
聖なる湖への捧げものに込められた意味
ティティカカ湖でのこうした発見は今回が初めてではない。1541年の記録によれば、財宝のうわさに引き寄せられたスペインのコンキスタドール(征服者)が探索中に10人溺死している。現代でも1950年以降、海洋探検家として有名なジャック・クストーを皮切りに、ダイバーたちがティティカカ湖の調査を続けてきた。
数十年にわたる調査の結果、別の岩礁で、いろいろな形の石箱が20個以上発見されている。しかし、中身が一部でも残っていた箱は4つしかない。それらはいずれも人間の男女またはリャマの像で、銀、金、ウミギクの貝殻といった希少な素材が使用されている。
ショールを留めるピン(トゥプス)の金のミニチュアが入っていた箱もあり、人間の像が色鮮やかな伝統衣装をまとっていたことを示唆している。湖の水が箱に染み込み、衣装だけが朽ち果てたのだろう。
論文の著者の一人クリストフ・ドゥレア氏はメール取材に対し、政治声明から豊穣祈願まで、捧げものには「大小さまざまな意味がありました」と説明している。ドゥレア氏はベルギーのブリュッセル自由大学(ULB)ティティカカ湖水中考古学プロジェクトの科学ディレクターだ。
まず、インカ帝国の人々がティティカカ湖を崇拝していたのは、インカ帝国が征服する以前に存在したティワナクの伝統の影響と思われる。ティワナクは紀元前200~西暦1000年ごろ、現在のボリビア、ペルー、チリに勢力を拡大したとされている文明だ。
「インカ帝国の人々はごく限られた場所で捧げものをしていたのではないかと思います。その理由は征服前から存在したのではないでしょうか」と推測するのは、スペイン到来前の聖地が専門の考古学者で、ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラー(協会が支援する研究者)でもあるヨハン・ラインハルト氏だ。「インカ帝国がティティカカ湖を征服する前から、地元の人々が信仰していた場所で捧げものをしたということです」
捧げものはインカ帝国の祖先たちが行っていた信仰に加え、太陽の島で行われていた巡礼の儀式と関連するのかもしれない。創造神話を中心に据えたうえで、始まりの場所であるティティカカ湖を儀式の場とし、帝国の政治声明を発表していたとも考えられる。
「ティティカカ湖への捧げものは象徴的かつ政治的な行為であり、聖なる場所を征服したインカ帝国の力を儀式によって正当化する意図があった」と論文では分析されている。
水の中に血の雲が広がった
研究チームはさらに、インカ帝国が1400年代半ば、金が豊富なこの地に勢力を拡大したことを表現するため、金の円筒はリャマの像に固定されていたと考えている。ラインハルト氏は第三者の立場で、「インカ帝国の人々は宗教的な伝統を信じており、それが政治や経済と分離することはありませんでした」と説明する。「すべてが密接に結び付いていました」
今回発見されたものを含む捧げものに、リャマやアルパカの多産を祈願する意味があった可能性もある。インカ帝国の神話では、リャマやアルパカは湖から現れるとされていた。
土壌の豊かさや豊作を祈っていた可能性もある。ウミギクは約2000キロ離れたエクアドルの海に生息する貝で、海や海の女神ママ・コチャと関連づけられ、雨乞いの儀式に使用されていた。海やママ・コチャはティティカカ湖とつながりがあると信じられていた。
17世紀のスペイン人聖職者アロンソ・ラモス・ガビランは、インカ帝国の人々がティティカカ湖で行っていた儀式を研究していた。その研究論文によれば、ティティカカ湖に捧げものを沈めた後、水の中に血の雲が広がったという。神々の怒りを鎮めるため、子どもや動物がいけにえとして捧げられることがあった。その際、いけにえの血を捧げものの箱に注いでから、箱に栓をしていた。ロープで箱を沈める途中、水が染み込み、血と混ざり合って湖に流れ出し、周囲が赤く染まったのだろう。
今回発見された箱には、ボートから箱を沈める際、ロープを通すことができそうな穴が開いている。この箱にも血が注がれていたのだろうか? 今となってはわからない。痕跡は遠い昔に洗い流されてしまった。しかし、インカ帝国の祈りとともに捧げものを湖に沈める不気味な儀式に、血が関わっていたとしても不思議ではない。
(文 A. R. WILLIAMS、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2020年8月7日付]
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