俳優・藤岡弘、さん 「慌てず騒がず」母が人生の指針
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の藤岡弘、さんだ。
――お母様は長命だったそうですね。
「亡くなったのは2013年で、104歳に近い103歳でした。仕事先の九州で訃報に接したのですが、前日母と話をし『行ってくるよ』と出てきたばかりだったので、驚きは大きく、にわかには信じられませんでした」
「母は明治に生まれ、私の実家である藤岡流古武道の家に嫁ぎ、大正、昭和、平成を生きた女武士道を地で行くような女性でした。どんな状況でも慌てず、騒がず、ひるまず、揺るがない。何度も病気やけがから私の命を救ってくれ、戦前の日本女性の『良きもの』を全部背負っているような母でした。『ならぬものはなりません』『四の五の言うのはやめなさい』。今でも母の教えは人生の指針です」
「母のおなかの中にいたのは戦時中の松山市でした。1945年に米軍の空襲で松山市は戦災を受けますが、母は空襲前日に、突如市内の病院から実家に戻ると言い出し、周囲を振り切って帰宅しました。病院は全焼し、関係者で生き残ったのは母と院長だけ。私は運のいい母に誕生時から助けられました」
――戦後の生活は苦しかったとか。
「戦争に関係した事情で、警官だった父が突如家を去り、一家の生活は一気に苦しくなりました。母は茶道や華道、琴、着付けなどをたしなんでいたので、旅館やホテルで働き、私を育ててくれました。思い出したくもない苦しさで、欲しいものはアルバイトで買うしかありませんでしたが、母の頑張りを見たら不平は言えませんでした」
「映画好きだったので、大学に行かず3万円だけ持って夜行列車で東京に出て、演劇の勉強を始めました。やがて松竹専属としてわずかな手当で下積みの俳優になり、60歳ぐらいだった母を呼び寄せたのですが、とても食べていけません。母が残していた着物は、売れない私を支えるためきれいさっぱりなくなってしまいました」
――仮面ライダー役で人気が沸騰し、NHK大河ドラマに次々と出演されました。
「ここでも母に助けられました。仮面ライダー役の私は演技中に大腿骨骨折の大けがを負ったたのです。ベッドから動けず、背中のかゆみで寝られない私を、母は背中とシーツの間に手を入れて一晩中支えてくれました。けれど回復後、NHKで坂本竜馬役などを演じた私を母はほめません。『人は甘くない。もっと精進しなさい』と一言」
「亡くなる前日、母はなぜか私に『子どもは宝だ。地位や名誉より大切だ。家の伝統にのっとって命をかけて育てなさい』と言いました。最後の言葉です。今、私には大学生の長女を筆頭に娘3人と息子が1人います。母の教えを日々実践するつもりで、毎日、全力で育てています」
[日本経済新聞夕刊2020年8月11日付]
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