4千年で実現 アイスクリーム誕生に至る探求の物語
冷凍スイーツを楽しむためには現代の冷凍技術が不可欠に思えるが、実は冷たい菓子は何千年も前から存在している。中国からメソポタミアに至るまで、あらゆる古代文明の特権階級が楽しんできた。
4000年前の中国にはすでに、凍ったシロップのようなものがあった。紀元前400年頃のペルシャ帝国では、サクランボやザクロ、バラ科の果実であるマルメロなどから作ったシロップを雪で冷やした「シャルバット」が人気だった。現代の「シャーベット」「ソルベ」「シロップ」という英単語は、この「シャルバット」から派生した。
一説によると、紀元前330年にペルシャ帝国を征服したアレキサンダー大王は、風味付けした氷にハチミツをかけたものを好んでいたという。古代ギリシャ人や、その後の古代ローマ人も、飲み物を冷やすことをしていた。ローマ帝国初期の皇帝ネロは、晩餐において果汁にハチミツと雪を混ぜたものを楽しんでいた。
さらに千年の時を経て、1290年代にはマルコポーロが中国から様々な味の氷のレシピを持ち帰った。中にはミルクを使うものもあった。
調達が難しい、貴重な氷
現代のアイスクリームの元となるこうした冷たい菓子を作るには、凍った川や湖か寒冷な山間部などから雪や氷を調達し、それを保存する必要があった。集めた雪や氷は、解けないように藁や枝とともに詰めて都市部まで運んでいた。
到着後、雪や氷は熱と光を避ける氷室で保管された。また、氷を断熱用の藁やおがくずとともに深く掘った穴に入れることで、熱から守った。
中世になると、ヨーロッパ各地で雪を山から氷室に運ぶようになったが、氷の調達には多くの人出と手間がかかるため、非常に貴重な品だった。17世紀になると、個人所有の氷室が多く建てられるようになり、18世紀の終わりまでには町の中に大きな氷室が建設され、行商人たちが家から家へ氷の塊を売り歩くようになった。
一部の都市では、氷の取引が当局によって規制され、価格や違法売買の罰則が設けられた。1807年のナポリには、43人の「氷売り」がいたという。規制によって、氷は夏季にのみ販売が可能だった。
氷菓を作る「自然の魔法」
乳製品を冷菓に取り入れるようになったのがいつなのか、はっきりとはわかっていない。一部の歴史家は、アジアで発展して、マルコポーロによって西洋に持ちこまれたと考えているが、それはまったくの作り話だとして、強固に反論する人々もいる。
乳とクリームをしっかり混ぜて滑らかに凍らせるために、吸熱反応が利用された。コックたちはアイスクリームの材料を金属製の容器に入れ、さらにそれを氷と塩、あるいは硝石の入ったバケツに入れた。塩は氷の融点を下げるので、氷が解けやすくなる。氷は解ける際に周囲から熱エネルギーを吸収するので、アイスクリームの材料から熱を奪い、その結果、冷えて固まるのだ。
1550年にはローマ在住のスペイン人医師ブラス・デ・ヴィラフランカが、この吸熱反応を利用した技術がヨーロッパで用いられていることを論文に著している。この技術はイタリア中に広まっていき、1558年にはナポリ人ジャンバティスタ・デラ・ポルタが『Magia naturalis(自然の魔法)』の中でこう書いている。
「パーティーで最初にしたいことと言えば、氷のように冷えたワインを飲むことでしょう。特に夏は。なので、ただ冷やすだけでなく、すすらないと飲めないほどに凍らせる方法を教えましょう。ワインをジャーに注ぎ、凍りやすいように少し水を足す。それから木製のポットに雪を入れて、硝石を振りかける。その雪の中でジャーの中身をかき混ぜると、徐々に凍っていきます」。このフローズンワインのレシピを元に、イタリア風シャーベット「ソルベット」の作り方が知られるようになった。
気候と文化があいまって、ソルベットはヨーロッパのどこよりもイタリアのナポリで人気を博した。1690年には凍らせる過程で氷をなめらかにした「ソルベッティ」についての初めての本がナポリで出版された。『New and Quick Ways to Make All Kinds of Sorbets With Ease(様々なソルベを簡単に作る早くて新しい方法)』だ。レシピに記載された材料を見る限り、貴族の家庭で読まれていたと考えられる。
その後、ナポリのスペイン総督の下で働いていたアントニオ・ラティーニによる『The Modern Steward』が1692年から1694年にかけて出版された。料理や邸宅内のマネジメントについて書かれたこの本には、氷についての章が含まれている。
ヨーロッパでアイスクリームが生まれたのは、やはりその頃のイタリアだったと考えられている。17世紀にはフランスにレシピが伝わり、その後英国に広まって、いよいよ大流行となった。「アイスクリーム」という英単語が初めて登場したのは、1670年代のことだ。1671年5月、ウィンザー城における聖ジョージの日の晩餐で、様々な豪華な料理とともに振る舞われたとの記述がある。
みんな大好きアイスクリーム
ソルベと違い、アイスクリームを作るのには大変な労働力を要した。まず手で氷を砕き、岩塩とともに大きな桶に入れる。クリーム、乳、砂糖、風味付けのための材料を入れたポットを、その桶の中に入れ、ポットの中身が固まってアイスクリームとなるまで手で何時間もかき混ぜる必要があった。多くの場合、アイスクリームはその後、果実や花をかたどった型に入れられた。アイスクリームを作り、供するためには莫大な費用がかかったため、ほとんどのヨーロッパ人は手が届かず、主に王族が楽しむものだった。
ソルベットは18世紀にかけてヨーロッパの大都市で人気となっていった。当時育ちつつあった中流階級の人々が、店で冷たいスイーツを購入するようになったのだ。凍らせる過程で氷をなめらかにした「ソルベッティ」のほか、果実と氷を混ぜてザラザラの状態にした「グラニータ」や、氷にミルクを足した「ジェラート」、アイスクリームの前身である「ソルベッティ・コン・クレーマ」などがあった。パリ近郊で王室御用達の陶磁器を製造していたセーヴルなどの工場は、一般の人々もソルベットを楽しむようになると、店舗や家庭に向けてアイスクリーム用のカップアンドソーサーを製造するようになった。
一冊まるごとアイスクリームの作り方について書かれた最初のレシピ本は、1768年にフランスで出版された『L'Art de bien faire les glaces d'office』だ。サブタイトルには「菓子を凍らせるための真理」とある。アイスクリームの流行は間もなく北米の植民地にも広まったが、合衆国の独立後も、18世紀の間は贅沢品だった。ニューヨークの商人が残した記録によると、ジョージ・ワシントン大統領は1790年の夏、アイスクリームに200ドルもかけたそうだ。今日の金額にすると数千ドルにもなる。
アイスクリームがついに大衆にとって手が届くものとなったのは、米国においてだ。1843年、ニューヨークのナンシー・M・ジョンソンが、大幅に時間を短縮できるアイスクリームメーカーを発明し、特許を取得した。国内の企業がこの設計に改良を加え、アイスクリームを簡単に低コストで製造できるようにした。
1851年にはメリーランド州ボルティモアの牛乳屋、ジェイコブ・ファッセルが初のアイスクリーム工場を建設し、アイスクリームが手に入りやすくなると、南北戦争後、アイスクリームの人気は米国中で爆発した。かつては王や女王しか味わうことのできなかったこのスイーツを、米国中の人々がアイスクリームショップやソーダファウンテンで楽しめるようになったのだ。
(文 Alfonso Lopez、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2020年8月2日付の記事を再構成]
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