国民的対話アプリ「LINE」は2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに誕生した偶然の産物ともいえる。LINEの舛田淳・最高戦略マーケティング責任者(CSMO)は当時、「打倒グーグル」の戦略を描けず、もがき苦しむなかで鉱脈を見つけた。基となったのは、文化の異なる中国、韓国の企業で失敗を重ねながらもはい上がってきた経験。負けを認めて「逃げる」ことで、千載一遇のチャンスで実力を発揮する転機にする。「逃げるは恥だが役に立つ」。第5回はLINEの軍師の「耐える力」に学ぶ。
――新型コロナウイルスという未曽有の危機を乗り越えるため、テクノロジーによる解決力が欠かせません。LINEも東日本大震災をきっかけに誕生しました。
「いまは3・11の時と同じマインドでいます。日本に8000万人のユーザーがいて、この難題をどう乗り越え、その後にどうしていくのかを考えています。いま何ができるのかと、現場からボトムアップでどんどん企画が上がっています。例えば、厚生労働省とのアンケート。国民インフラと自称するLINEの責任として、『できることは何なんだ』と現場が考えた結果です」
スイッチが入っていた
「3・11の時に多くの方が直面したのが家族と連絡できなかったこと。私もそうでした。当たり前のものが、当たり前でなくなった。『親しい人とメッセージをやり取りできるツールがいまこそ必要ではないか』。無料でコミュニケーションできるものを、1秒でも速く世の中に出したい。スイッチが入っていました」
――とんとん拍子の成功談に聞こえますが、会社としては希望を抱けないどん底に陥っていました。LINEの前身であるネイバージャパンは検索の会社ですが、グーグルに歯が立たなかった。
「LINEが誕生する半年前ぐらいが、一番途方に暮れていました。すべてが暗闇、暗黒です。それは戦略責任者である私の責任だと思っていました。リングに登っても、登っても、勝てない。心が折れそうになりました」