1699年(元禄12年)の創業以来、320年余の歴史を持つかつお節専門店の「にんべん」。東京・日本橋を拠点に、かつお節の「フレッシュパック」や「つゆの素」というヒット商品を打ち出し、食卓に変革をもたらしてきた。老舗ののれんを守りつつ、新たな時代の変化にも対応するため「日本橋だし場」など新ブランドの立ち上げなどチャレンジを続ける。その旗振り役を担うのが13代当主、高津伊兵衛社長だ。
――今年2月に高津伊兵衛を襲名されたそうですね。
それまでの高津克幸から改名しました。家庭裁判所に申立書を提出し、最終的に区役所で変更手続きを済ませました。改名には煩雑な手続きが伴うのかなと思っておりましたが、意外にスムーズで、やや拍子抜けした感じです。代々途切れずに引き継いできた名前だったからかもしれません。
――家業を継ぐことに抵抗はありませんでしたか?
大学に進学する前、先代の社長だった父から「将来、どうするのか」と聞かれたことがありました。当時は、まだこれといったやりたいこともなく、「家を継ぎます」と応じたのを覚えています。
家庭内には祖母と母、そして姉二人と4人の女性がおりました。一方、男は父と私の2人だけ。常日ごろから、女性陣から「あなたはこの家の跡取りなのよ」と暗黙のプレッシャーを受け続け、いつしか洗脳されていたからかもしれません。その後、大学は経営学部に進学。マーケティングのゼミに入り、卒論は食と環境問題をテーマに書きました。でも、大して勉強した記憶はありません。
――高津さんは、だしに育てられてきたわけですね。
我が家には長年、継承されてきた儀礼・儀式がいくつかあります。例えば、創業記念日には先祖の掛け軸を飾り、先祖に感謝したり、正月に食べる雑煮や煮しめなど料理の内容が決まっている、といったこともその一つです。幼いころから、元旦にかつお節を家族の人数分削るのが私の仕事。母がそれをもとに、だしをひき、雑煮を作ってくれました。大みそかに夜遅くまで外で友人と飲んでいても、元旦には家でかつお節を削る生活は大学を卒業するまで続きました。
高校時代も帰宅後、小腹がすいた時、よく自分で一人前のだしをひき、切り餅を焼き、雑煮にして食べたものです。母の手料理では、すまし系の汁物やかき玉などが好物でした。今でも個人的には肉ならサシが入っていないもの、マグロもトロより赤身好きで、味覚は結構淡泊な方かもしれません。