
――大学卒業後、いったんは高島屋に入社された後、にんべんに入られ09年、社長に就任されました。先代社長であるお父様から申し渡されたことなどありましたか。
特段これといったものはありません。父は元来、寡黙な男でした。でもお酒が入ると変わります。私がまだ実家にいた時代、父はよく夜一緒に食事した生産者の方などを自宅に連れてきていました。そんな時は父も気分がいいのか、傍らにいる私にも話しかけてくれたのを覚えています。
実は社長に就く10年前、ちょうど創業300年の時でしたが、父から「10年後はおまえに(社長の座を)譲る」と言われており、それからいろいろ自分なりに考えを巡らすようにはしていました。先代からの引き継ぎ案件としては、日本橋の再開発がありました。三井不動産から打診され、先代が決断したもので、それから約10年かけて現在のコレド室町一帯が誕生したわけです。
再開発計画には73年(昭和48年)にできたにんべんの旧本社を取り壊し、新本社建設も含まれておりました。投資額が大きかったので、そこまで資金を投じるべきか、社長として正直、悩んだ時期もありましたが、再開発が「だし」の可能性について再認識するきっかけを与えてくれたのもまた事実です。
――それはどういうことですか。
旧本社の時代は1階と地下1階が直営店舗で、主に贈答用ギフトを販売しておりました。目的買いのお客様が大半で、客数はさほど多くはありませんでした。旧本社ビル解体後は、現在のコレド室町1の店舗がある場所を「仮店舗」とし、3年後に旧本社跡地へと戻る計画でした。
3年という限られた期間、仮店舗で何をするかを私なりにいろいろ考えました。旧本社時代の反省を踏まえ、浮かんだのがもっと日常的に使ってもらえる商品を増やし、テイスティングなどができる体験型の店づくりです。それを具現化したのが10年に誕生した「日本橋だし場」です。