直感力こそトップの条件 他人の評価は気にしちゃダメ松井証券 松井道夫顧問(上)

――周囲の反対にめげずに方針を貫き続けた。

「いや、そんな格好いいものではなく、結構ぐじぐじ悩みましたよ。営業を一切やめて、新聞広告を出し、電話による注文を待つ、というやり方は当初、まったく成果が出ず、広告費ばかりがかさんでいく。周りは、それみたことか、やめろやめろの大合唱です。これは失敗したかな、と弱音を吐きかけていたら、コールセンターの女性社員が言いました。常務、なんとなくにおうんです。問い合わせも増えていますし、もう少し続けませんかと。天の声だと思いました。それから徐々に、営業をしない松井証券をいいね、というお客さんが増えていきました。個人投資家は、証券会社の営業トークにうんざりしていたんです。通信取引が拡大し、顧客は北海道から沖縄まで広がりました。一方でたくさんのベテラン社員が、私のやり方に見切りを付け、辞めていきました」

松井証券に入社した34歳の時。岳父の松井武社長(左)と

――95年に社長に就任、次々と証券業界の慣習を壊し始めました。

「岳父に社長になりたいと申し出たら、おやりなさい、でもつまらないよ、と言われました。42歳の時です。まず手掛けたのは、株式の保護預かり手数料の廃止です。当時、顧客の株式を証券会社が預かると手数料がもらえました。業界全体で年間、数百億円もありました。それをやめると言い出したわけですから、業界の秩序を乱すな、村八分にするぞ、と大反対されました。無視して実行すると、やがて追随する証券会社が増えていきました。97年には店頭株式市場の手数料を半額にしました。また松井がとんでもないことをと、集中砲火を浴びましたが、店頭株の手数料は上場株と違って法定ではなかったので、自由に決められるはずだと、押し切りました」

――そして日本初のインターネット証券へと改革は進みます。

「96年に米国でオンライン取引が始まると聞き、いよいよだと思いました。電話取引の延長にネット取引があると思い、98年5月、日本初のインターネット証券取引システム、ネットストックを立ち上げました。この日から松井証券はインターネット専業証券になったのです」

――ほどなく金融ビッグバン、証券手数料の自由化が始まりました。

「証券業界は、自由化されれば手数料は上がり、顧客に不利になる、と反対していましたが、そんなバカな話はあり得ません。私はいずれ上場株の手数料も大きく下がると確信していました。99年に株式売買手数料の完全自由化が導入され、松井証券は1日3回300万円までなら手数料3000円という、1日定額制を導入しました。自由化によって、手数料の水準はざっくり10分の1以下になりましたが、ネット取引の導入で株式の売買代金は300倍に増えていましたから、手数料収入はざっと20倍になりました。一方で営業を担当する社員や支店はなくなったので、人件費や不動産コストは下がっていました。利益率で松井証券は業界ナンバーワンになりました」

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