昔も今も心にしみる「オヤジ」たちの味 宇梶剛士さん食の履歴書

「鍋料理が苦手」と話す宇梶さん=三浦秀行撮影
「鍋料理が苦手」と話す宇梶さん=三浦秀行撮影

危険な香りが漂うこわもてを演じたかと思えば、人情味あふれる実直な男やコミカルな役回りに挑む。俳優の宇梶剛士さん(57)は野球で挫折を味わい、不良と呼ばれたこともある。もがいた日々の傍らには、見守る「オヤジ」たちの味があった。

生まれたときから大柄だった。体重は5千グラム。健康優良児の表彰を受けたほどだ。その大きな体を支えた晩ご飯は決まってアイヌ民族出身の母が受け継いだ伝統食「オハウ」。サケやタラ、野菜などを煮込んだ温かい汁物だった。

「友達の家では子どもが好きなカレーとかハンバーグとかをつくってくれるじゃないですか。あの頃の『どうしてうちは違うんだ』という思いがどうしてもよみがえってきて。鍋料理が苦手になったんですよ」。苦笑交じりに振り返る。複雑な思いがよみがえる原点の味だ。

父は会社員で忙しく、単身赴任が長かった。母は人権活動に没頭していった。不在がちの両親のすれ違いに反抗期が重なり、中学生で家を飛び出した。

腕っ節が強く、地元の東京都国立市では目立つ存在。年上の相手にけんかを売られるのがしばしばだった。ただ「プロ野球選手になるんだ」という夢が最後の一線を越えさせないブレーキになっていた。

一人暮らしに姉が弁当を

家族付き合いのあるのは母に代わって家事を引き受けた姉。野球に明け暮れた高校時代には早朝、一人で暮らしていたアパートまで実家から大きな弁当箱を届けてくれた。のり弁にショウガ焼き、ウインナー……。授業中にはすべて平らげてしまい、昼は学食に通った。学校帰りには「スタ丼」だ。

ニンニクダレで炒めた豚肉たっぷりのスタ丼は友達に「量が多いし、安いし、おいしいぞ」と教わった。東京・国立の店でスタ丼を生み出した故・橋本省三さんは地元で「オヤジさん」と慕われた有名人。「おっかなくて、店の前を通るときはバイクのエンジンを切って押していった」。でもそれだけではない。

行きつけの焼鳥屋ではお小遣いをもらった

「とにかく若い人が好きで面倒見がよくて、笑顔に引き込まれてね。当時は大人なんて関係ねえと突っ張っていたけれど、しっかり向き合って叱ってくれる存在でした」

高校時代は野球部内の上下関係に悩み、自らの暴力事件でプロへの夢が絶たれてしまう。やがて暴走族に加わってトップに。抗争に巻き込まれて少年院生活を経験した。そのとき母の差し入れで読んだチャップリンの自伝が幼少期にみた映画の記憶と重なった。俳優という次の夢を追いかけることになる。

激動の日々が続く中でスタ丼はともにあった。「1カ月、店に行かないでいると、食べたい気持ちが抑えられなくなってね」。お金のない俳優下積みの頃に橋本さんから「もっと食え」とギョーザや野菜炒めがサービスで出ることがあった。

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