人類初の原爆実験 75年前に幕を開けた「核の時代」

日経ナショナル ジオグラフィック社

爆発の後、科学者たちが現場へ行ってみると、辺り一面に大量のガラス質の塊が落ちていた。砂漠の砂が超高温のキノコ雲に吸い上げられ、融解して小さな球体になり、ドロドロの雨のように地上に降り注いだものだ(PHOTOGRAPH VIA AP)

核の時代の幕開けを目のあたりにした人々の証言は、驚くほど一致している。突然昼間の太陽よりも明るい光が差して、すぐそばの藪から遠くの山まで、谷全体が照らし出されたが、真っ白な光はその後ろに広がる闇と鮮烈なコントラストをなしていたという。

光のなかで卵のような左右対称の固まりが一瞬のうちに膨れ上がったかと思うと、すぐにつるんとした形は崩れて混乱した雲となり、そこから火の柱が上昇した。それは空の上で広がって、映像などで見慣れているキノコの形になった。

ほんの数秒間、雲の中を照らした奇妙な紫の光は、塵のなかを制御不能になって飛び交う放射線の輝きだった。その後、温度が下がって雲全体がオレンジがかった赤色に変化した。

「笑っている者もいれば、泣いている者もいました。けれど、ほとんどの人は沈黙していました」と、オッペンハイマーは後に語っている。「そのとき、ヒンドゥー教の経典『バガヴァッド・ギーター』の1節が頭に浮かびました。『私は今、死となり、世界の破壊者となった』」

2度と来る必要のない場所

私は、ホワイトサンズの広報担当者ドリュー・ハミルトン氏に案内されて、トリニティ実験場を訪れていた。ゲートを入って、わずかに下方に傾斜した砂漠を徒歩で降りると、ガジェットが爆発した現場に到着した。爆発でできたクレーターは、意外と浅い皿状のへこみだった。最も深い地点でも、わずか3メートルの深さしかない。爆弾は塔の上に置かれ、地面から爆弾までは30メートルもの距離があったからだろう。

立ち上った柱と巨大なキノコ雲のほとんどは、砂漠の砂だった。爆弾を乗せた塔も、数百メートルの銅線も、もちろんガジェット自体も空高く吹き飛ばされて消滅した。ガジェットのなかに入れられた重さ5.8キロの核物質のうち、実際に純粋なエネルギーに変換され、TNT火薬換算で21キロトン分の破壊力を持つ爆発を引き起こしたものは、紙クリップほどの質量しかなかったと推定されている。

爆心地跡には、高さ3.6メートルの黒い溶岩でできた記念碑が建てられていた。1960年代半ばに、ホワイトサンズの東の外れに広がる溶岩原で掘り起こされたものだそうだ。記念碑には「トリニティ跡地、1945年7月16日に世界で最初の核爆弾が爆発した場所」と書かれ、その下には「国定歴史建造物」と書かれている。

トリニティ跡地は、年に2回、4月の第1土曜日と10月の第1土曜日だけ一般公開され、通常は約3000人が訪れるという(PHOTOGRAPH BY MARK OVASKA, REDUX)

エクレス氏は、トリニティ跡地をベツレヘムに次いで世界にとって重要な土地だと言い張る上官がいたと話してくれた。ベツレヘムと言えば、キリスト生誕の地である。何を馬鹿なという気がしないでもないが、よく考えてみれば、現代世界はここから始まったと言えなくもない。1945年以降のあらゆる国際紛争、あらゆる冷戦の悪夢、核に怯えた指導者による妄想じみた軍拡競争、事故が起こるたびに自滅へと一歩近づく人類、教室の机の下に隠れるだけではすまないのではないかと疑う子どもたち。トリニティ実験がもたらしたものは、これら全てに、焼け焦げたつる草のように取りついている。

「多くの人たちが、この場所を訪れる機会をずっと待っていたんだと言います」。ゲートを閉めながら、ハミルトン氏はそう言った。「でも私の経験から言うと、トリニティは1度訪れればもう2度と来る必要はない場所なんですよ」

(文 BILL NEWCOTT、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年7月17日付の記事を再構成]

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