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人類初の原爆実験 75年前に幕を開けた「核の時代」

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ナショナルジオグラフィック日本版

1940年代初期、米国の諜報機関は恐るべき秘密を抱えていた。ドイツが原子爆弾の開発に躍起になっているという。

物理学者アルバート・アインシュタインからの手紙でそのことを示唆されたフランクリン・ルーズベルト大統領は、総力を挙げて核開発計画を推し進めるよう命令を下した。国防総省の本庁舎ペンタゴンの建設を監督した陸軍司令官レスリー・R・グローブスは、理論物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマーを科学部門のリーダーに任命した。実際の核実験は、ハーバード大学の物理学者ケネス・ベインブリッジが率いることになった。

この計画のために全米から13万人が集められたが、ほとんどの人が何のために雇われたのか知らされていなかった。プロジェクトの中心となったのはニューメキシコ州の静かな町ロスアラモス。元男子校の校舎を改装した研究室で、科学者とエンジニアたちが設計・開発した爆弾は「ガジェット」と名付けられた。

さらに、そこから300キロ南下した砂漠の真ん中に、骨組みだけの簡単な設備が建てられた。ここで最後の組み立て作業と実験が行われることになった。計画は「マンハッタン」、最初の実験は「トリニティ」と名付けられた。

トリニティの名の由来について、名付け親のオッペンハイマーは明確な説明を残していないと、トリニティ実験の跡地があるホワイトサンズ・ミサイル実験場で30年間広報官を務めていたボブ・エクレス氏は言う。同氏はすでに退役しているが、今でもトリニティのことなら彼に聞けと言われるほどだ。

「オッペンハイマーは、よくわからないと言っていました。でも、当時読んでいたジョン・ダンの詩のなかのある1節が記憶に残っていたそうです。『私の心を打ち砕いてください、三位一体の神よ』。そこから、トリニティ(三位一体の意)という名を思い付いたとか」。オッペンハイマーは、読書家だったともいわれている。

トリニティ実験は当初、1945年7月4日に予定されていたが、ガジェットを修理する必要が生じたため、延期された。

ソフトボール大のプルトニウム

ガジェットは、インドネシアのクラカタウ火山が大爆発を起こした1883年以降で最大の破壊力をもっていた。直径150センチの球体のなかに納められたのは重さ約6キロでソフトボール大のプルトニウム。そのソフトボールをゴルフボールの大きさまで圧縮させると、臨界状態に達して破壊的な大爆発を起こす。

プルトニウムを圧縮させるには、それをより大きな球の中心に置き、32個の爆薬で包み込む。爆薬の総重量は2.3トンだ。そして、すべての爆弾を正確に同じ時に爆発させる。わずかな時間のズレも許されない。爆発により全方向から圧力を受けたプルトニウムは、超濃縮された放射性肉団子のようになる。当時はデジタルスイッチなど存在しなかったため、32個の爆薬に取り付けられたワイヤーは、南に8キロ離れた倉庫に置かれた一つのボタンにつなげられなければならなかった。そして、1本1本のワイヤーは全て、同じ長さにする必要があった。

7月といえば、ニューメキシコ州では雨の季節だが、16日は降水確率が比較的低いと予想された。計画実行の日は決まった。7月12日、小さな箱を後部座席に乗せたセダンが、ロスアラモスを出発した。箱の中には、2つに分かれたプルトニウムの核が納められている。

その翌日、13日の金曜日、同じくロスアラモスを出発したトラックには、直径152センチの球が乗せられていた。計画実行の時間まで3日を切っていた。

最後の証人たち

土曜日、核がガジェットのなかに入れられると、ガジェットは高さ30メートルの鋼鉄の塔のてっぺんまで引き上げられた。

トリニティ実験を実際に目撃した証人たちに直接話を聞くことは、もはやできなくなった。2019年後半に取材を始めたとき、私は数人の生存者を確認したのだが、コロナウイルス感染症の影響でインタビューを延期せざるを得なくなった。それから数週間が経ち、さらに数カ月が経過し、悲しいニュースが次々に舞い込んだ。

ロスアラモスの若き物理学者だったボブ・カーター氏は、トリニティ実験の日、許可なしに夜遅く女友達をバイクの後ろに乗せて、遠く離れた丘の上から爆発を見たという。そのカーター氏は、2020年4月7日に100歳で他界した(死因はコロナウイルスではない)。

フレッド・ヴァルスロー氏は、最後のガソリン配給券を使って友だちと車に乗り、やはり丘の上まで行って見物していたところ、自分たちの方に煙が迫ってきたため、全力で逃げ出したと、別のインタビュアーに語っていた。ヴァルスロー氏は、20年3月に101歳で他界した。

また、世界で初めて核分裂反応の制御を成功させた物理学者エンリコ・フェルミと一緒にロスアラモスでスクエアダンスを踊ったという化学者のロバート・J・S・ブラウン氏(95歳)へのインタビューも叶わなかった。

こうして、トリニティ実験が75周年を迎えたとき、あの雨の朝に実験を目撃した証人は誰ひとりとして生き残っていなかった。

核の時代の夜明け

実験は、1945年7月16日午前4時に予定されていたが、前の晩の雨の影響で遅れていた。オッペンハイマー、グローブ、ベインブリッジらは、渋い顔をしていた。軍事的理由から、これ以上遅らせるわけにはいかないという焦りもあったが、キャンセルとなればワイヤーの大部分を取り外さなければならない。23キロ離れた丘の上では、フェルミの他に、物理学者のエドワード・テラーやリチャード・ファインマンといった重要人物も実験の開始を待っていた。他にも、見学者のなかには、ドイツ生まれの英国人物理学者で、実はソビエトのスパイだったクラウス・フックスの姿もあった。

新たな開始時間は、5時半に決まった。現場から南へ8キロ離れた倉庫で、オッペンハイマーが秒読みを監督した。スピーカーから秒読みの声が流れ、全員が渡された溶接ゴーグルや、溶接用ガラスを段ボールにはめたものを準備した。爆発を直接見てはならないという命令だった。最初の爆発が起こった後で、向き直って見ても良いと言われていた。

スピーカーの声が届かない遠くの丘の上で待っていた人々はすっかり待ちくたびれて、5時半になる頃には背を向けて自分の車へ戻ろうとしていた。

その時、辺り一帯がパッと明るくなった。

 核の時代の幕開けを目のあたりにした人々の証言は、驚くほど一致している。突然昼間の太陽よりも明るい光が差して、すぐそばの藪から遠くの山まで、谷全体が照らし出されたが、真っ白な光はその後ろに広がる闇と鮮烈なコントラストをなしていたという。

光のなかで卵のような左右対称の固まりが一瞬のうちに膨れ上がったかと思うと、すぐにつるんとした形は崩れて混乱した雲となり、そこから火の柱が上昇した。それは空の上で広がって、映像などで見慣れているキノコの形になった。

ほんの数秒間、雲の中を照らした奇妙な紫の光は、塵のなかを制御不能になって飛び交う放射線の輝きだった。その後、温度が下がって雲全体がオレンジがかった赤色に変化した。

「笑っている者もいれば、泣いている者もいました。けれど、ほとんどの人は沈黙していました」と、オッペンハイマーは後に語っている。「そのとき、ヒンドゥー教の経典『バガヴァッド・ギーター』の1節が頭に浮かびました。『私は今、死となり、世界の破壊者となった』」

2度と来る必要のない場所

私は、ホワイトサンズの広報担当者ドリュー・ハミルトン氏に案内されて、トリニティ実験場を訪れていた。ゲートを入って、わずかに下方に傾斜した砂漠を徒歩で降りると、ガジェットが爆発した現場に到着した。爆発でできたクレーターは、意外と浅い皿状のへこみだった。最も深い地点でも、わずか3メートルの深さしかない。爆弾は塔の上に置かれ、地面から爆弾までは30メートルもの距離があったからだろう。

立ち上った柱と巨大なキノコ雲のほとんどは、砂漠の砂だった。爆弾を乗せた塔も、数百メートルの銅線も、もちろんガジェット自体も空高く吹き飛ばされて消滅した。ガジェットのなかに入れられた重さ5.8キロの核物質のうち、実際に純粋なエネルギーに変換され、TNT火薬換算で21キロトン分の破壊力を持つ爆発を引き起こしたものは、紙クリップほどの質量しかなかったと推定されている。

爆心地跡には、高さ3.6メートルの黒い溶岩でできた記念碑が建てられていた。1960年代半ばに、ホワイトサンズの東の外れに広がる溶岩原で掘り起こされたものだそうだ。記念碑には「トリニティ跡地、1945年7月16日に世界で最初の核爆弾が爆発した場所」と書かれ、その下には「国定歴史建造物」と書かれている。

エクレス氏は、トリニティ跡地をベツレヘムに次いで世界にとって重要な土地だと言い張る上官がいたと話してくれた。ベツレヘムと言えば、キリスト生誕の地である。何を馬鹿なという気がしないでもないが、よく考えてみれば、現代世界はここから始まったと言えなくもない。1945年以降のあらゆる国際紛争、あらゆる冷戦の悪夢、核に怯えた指導者による妄想じみた軍拡競争、事故が起こるたびに自滅へと一歩近づく人類、教室の机の下に隠れるだけではすまないのではないかと疑う子どもたち。トリニティ実験がもたらしたものは、これら全てに、焼け焦げたつる草のように取りついている。

「多くの人たちが、この場所を訪れる機会をずっと待っていたんだと言います」。ゲートを閉めながら、ハミルトン氏はそう言った。「でも私の経験から言うと、トリニティは1度訪れればもう2度と来る必要はない場所なんですよ」

(文 BILL NEWCOTT、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年7月17日付の記事を再構成]

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