精肉店を突破口にファンづくり、関西では苦戦
エバラ食品はこの新商品を当初、精肉店の店先に置いた。ガラスボトルに入った「焼肉のたれ」はラベルの赤が印象的で、店頭で目立つ商品となった。当初は創業者が自ら店頭に立って客に調理方法を教え、試食を勧めたという。「焼肉のたれ」というネーミングも、国夫氏が自ら決めた。
「最初は『肉がたくさん売れる』という触れ込みで精肉店チャネルを開拓していきました。台頭し始めていたスーパーからもすぐに引き合いが来ましたが、最初はCMも流さず、精肉店だけで売って、ファンづくりを優先したそうです」(清水部長)
国夫氏は販売エリアの面でも、段階的に広げていく手法を選んだ。まず静岡県などに絞ってスタート。エリア内でCMを流して販促をかけてファンを増やしていった。評判を知ってアプローチしてきたスーパーなどとも組んで、店頭ポップや試食スタッフを増やし、関係を強化。消費者との接点を広げていった。

清水部長は「目立たないように精肉店で売り出した手法を、社内では『モグラ作戦』と呼んでいました。一方、販売エリアを限定して、徐々に広げていく戦法は通称『城攻め』。創業者の発明家魂と天才的マーケティングが『焼肉のたれ』を全国の食卓へ広げていったのです」。
72年からは全国的にテレビCMも投入。落語家・月の家円鏡(後の八代目橘家円蔵)さんを起用したCMは、コミカルなキャラクターも手伝って人気になった。当時のCMを見ると、「3日に1度はおうちで焼肉」「家庭での200海里(問題)対策にお肉を」といったせりふも出てくる。魚食から肉食へと、日本人の食事が切り替わるタイミングをとらえて、焼き肉の定着を巧みに仕掛けた戦術がうかがえる。
関東から北陸、東海、九州などへ「焼肉のたれ」を通じた肉食文化を広めていったエバラ食品。だが、なかなか攻めきれなかったのが関西エリアだという。
「当社が全国でシェアを伸ばす中で、他社も徐々に焼き肉用たれに力を入れ始めていました。いよいよ関西エリアに売り込もうとしたころには『ようやく関西に来た後発メーカー』といった立場になっていました」と清水部長は当時の事情を明かす。味付けがしょうゆベースの関東風で、塩分が濃いめだった点も、甘い味が人気の関西では普及の妨げになったという。
「焼肉のたれ」のファンを増やし、「関西で受ける味」を生み出すという、2つのミッションを掲げて、新たな焼き肉用たれ商品の開発が始まった。研究を重ねて、初代の発売から10年後の節目に発売されたのが「黄金の味」だった。ここからエバラ食品の快進撃が始まる。
(ライター 三河主門)