作物あさり、ヒトの子さらう チンパンジー保護の葛藤
アフリカ東部のウガンダでは、森の生息地が減少するにつれ、腹をすかせたチンパンジーが作物をあさり、人間の子どもをさらうようになった。ナショナル ジオグラフィック8月号では、住民たちと保護の対象である希少な動物との関係をリポートしている。
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2014年7月20日、悩みの種は恐怖へと変わった。その恐怖は、ほかの家族にも衝撃をもたらすものだった。その日、大人の雄とみられる1頭の大きなチンパンジーが、セマタ家のよちよち歩きの息子ムジュニをさらい、殺害したのだ。
「私が畑を耕しているときに、チンパンジーがやって来ました」と、17年初めに話を聞いたとき、母親のンテゲカ・セマタは振り返った。彼女は幼い4人の子どもの面倒を見ながら、きつい農作業をこなしていた。そして子どもたちに水を取ってあげようと背を向けたとき、チンパンジーが2歳の息子の手をひっつかみ、走り去ったのだ。男の子の叫び声を聞いて村人たちが駆けつけ、追いかける母親を手助けした。しかし、そのチンパンジーは粗暴で力が強く、あっという間にその子に致命傷を負わせた。
ムジュニは病院に運ばれる途中で息を引き取った。
ウガンダ西部の山の尾根に沿った小さな土地で細々と生計を立てるンテゲカ・セマタの家族の暮らしは、ただでさえ苦しかった。自分たちが食べる分と、わずかな現金収入を得るための作物を育てるのがやっとだった。チンパンジーはセマタ家が暮らすキャマジャカ村をうろついては、バナナやマンゴー、パパイアなど、食欲をそそられるものを探し回り、食べあさっていた。
キャマジャカ村の状況は、住民にとってもチンパンジーにとっても、依然として不安定だ。人間の子どもが襲われるケースは続発していて、この地域だけで少なくとも3人が死亡し、6人ほどが負傷したり、間一髪で危険を逃れたりした。こうした襲撃の主な原因は、ウガンダ西部のチンパンジーの生息地が失われていることだと考えられる。国立公園や保護区の外の森林が農地に変えられ、建材や燃料のために樹木が伐採されているのだ。
ウガンダ野生生物保護庁(UWA)はチンパンジーをめぐるこうした状況を認識しているものの、同庁の権限ではチンパンジーの保護はできても、私有の森林の利用は制限できないのだ。「残念ながら、こうした地域の伐採を防ぐのは不可能です」と、UWAのサム・ムワンダ長官は言う。
必要なのは、常にチンパンジーへの警戒を怠らないよう、住民の「意識を高める」ことだとムワンダは話す。そこでUWAはカガディ県に3人のレンジャーを配置し、チンパンジーを監視したり、村人にチンパンジーと共生する方法を学ばせたりするための出先機関を開設した。
キャマジャカ村の周辺で暮らす10頭ほどのチンパンジーは、わずかに残った森や近くのユーカリ農園で夜を過ごす。自然の中には食べ物がほとんどないため、日中は人家の周りに現れ、農地や果樹から食べ物を得る。水を飲むのは、村の女性や子どもが水くみに行くのと同じ川だ。
彼らは後ろ脚で立って歩くと体高が1メートルを超え、まるで人間のように見えて恐ろしい。
チンパンジー(Pan troglodytes)はボノボとともに、現存する動物のなかでは人間に最も近縁の種だ。国際自然保護連合のレッドリストでは絶滅危惧種に指定されている。成熟すると体が大きくなって危険度が増し、雄では体重が60キロに達するものもいて、同じ体格の人間の男性と比べて1.5倍近く力が強い。
豊かな森に生息するチンパンジーはイチジクなど野生の果実を主食にするが、サルや小型のアンテロープを殺して食べることもある。興奮して獲物をばらばらに引き裂き、仲間と分け合うのだ。人間の大人に対しては警戒心をもち、攻撃する場合は主に子どもを標的にする。
ウガンダのチンパンジーは法律によって保護されていて、彼らを捕獲したり殺したりするのは違法だ。また、ウガンダ西部に住むブニョロの人々の伝統によっても守られている。
繰り返される悲劇
息子をさらわれた悲劇の後も、ンテゲカと夫のオムヘレザ・セマタは3年以上、同じ家に住み続けた。しかし、ンテゲカは恐ろしくて畑で働けなくなり、子どもたちは食事も喉を通らないほどおびえることもあった。「チンパンジーがまた襲ってくるのではないかと、いつもおびえながら暮らしています」と、ンテゲカは語った。17年末、セマタ家は5キロほど離れた場所に部屋を借り、社会から取り残されたような暮らしを始めた。「貧困の中に再び投げ込まれた気分です」と、転居後にンテゲカは話した。
ムジュニ・セマタの死は珍しい出来事ではない。キャマジャカ村の近くの町、ムホロロの警察によれば、17年にはチンパンジーによる子どもの襲撃が2件発生した。5月18日、母親が農作業をしていたトウモロコシ畑でマキュラテ・ルクンドという幼い女の子がさらわれた。地元住民と警官がチンパンジーたちを森まで追ったが、女の子は血の海の中で息絶えていた。その5週間後、同じ群れとみられるチンパンジーが別の畑から1歳の男の子をさらった。チンパンジーは村人たちに追われるうちに男の子を手放し、その子は命拾いした。この地域では、同様の事件がほかにも報告されてきた。
キャマジャカ村から歩いて30分の場所で、写真家のロナン・ドノバンと私(筆者のデビッド・クアメン)は、スワリキ・カーワと話した。彼の息子のトゥウェシグォム(通称アリ)は、2歳の誕生日を前にした16年にチンパンジーにさらわれ、地面を引きずられた揚げ句にひどく殴られ、命を落とした。カーワの兄で村長を務めるセボワ・バグマ・ケシが彼の代わりに事件について語り、警察の報告書や検視の際の写真を見せてくれた。
村人たちはチンパンジーが「利益をもたらす」と教えられてきたと、ケシは冷ややかに話す。チンパンジーを売り物にしたエコツーリズムによって、ムホロロ周辺に観光客が訪れるだろうと。「チンパンジーは利益をもたらすどころか、子どもたちを殺しているんです」と彼は言った。
(文 デビッド・クアメン、写真 ロナン・ドノバン、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2020年8月号の記事を再構成]
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