日本版トニー賞への道 コロナで思い強く(井上芳雄)
第73回
井上芳雄です。6月27日からMirai CHANNELというYouTube公式チャンネルで『井上芳雄の「日本版トニー賞への道」』という特別番組を配信しています。トニー賞は米国で最も権威のある演劇賞で、映画界のアカデミー賞のような存在。日本にもそういう賞があればいいと言い続けてきたのですが、今回のコロナ禍でその思いは強くなりました。日本の演劇界にふさわしい賞のあり方を考えるきっかけになればうれしいです。
Mirai CHANNELは「舞台芸術を未来に繋(つな)ぐ基金(通称:みらい基金)」が運営している配信プログラムです。みらい基金は、コロナ禍で活動停止を余儀なくされた舞台芸術に携わる人たちを支援するために、広く一般から寄付金を募り、今後の活動に必要な資金を助成しようとするもの。4月28日から始まり、8月25日までに1億円を目標に募っています。僕も、公演の中止や延期が相次いで、困っている俳優やスタッフの方たちがたくさんいるなか、なんとかみんなで助け合えないかと思っていたので、賛同して参加しています。
その際、発起人の宋元燮さんともお話しして、どういう思いで基金を設立して、この先どうしようとしているのかをうかがいました。それで「僕にできることがあれば、何かしたい。賛同人に名前を連ねているだけというのも居心地が悪いような気がするので」といった話をしました。そういうなかで、活動のひとつとしてMirai CHANNELが立ち上がりました。舞台芸術の未来をみんなで考える教育チャンネルみたいなものと聞いて、面白いと思いました。トニー賞のような催しが日本にもほしい、というのは僕がずっと言い続けていることなので、みらい基金がきっかけで新しい賞が生まれてもいいのかなと思い、それを考えるトーク番組をつくってみたというわけです。
僕は、WOWOWが放送しているトニー賞授賞式の生中継に6年前から出させてもらっています(今年は残念ながらコロナ禍で開催延期となりました)。年に一度のブロードウェイのお祭りという感じで、授賞式自体がエンタテインメントになっていて、ショーアップされて楽しいし、ドラマチックなスピーチにも感動します。日本でもこんな授賞式が毎年テレビで放送されるようになったら、ミュージカルや演劇が世の中でもっと話題になるし、業界が活性化するんじゃないかと思っていました。
その思いは、今回のコロナ禍で一層強くなりました。僕たち演劇界の人間も社会の一員に変わりはないのですが、どこか自分たちの村だけでやってきたのではないかという反省があるからです。公演中止が相次いだ演劇界が支援を訴えたとき、世間の反応は自分たちが思っていたよりもずっと冷ややかで、シビアだったように思います。自分たちは世の中に必要とされていると思っていたけど、いざ緊急事態となると「不要不急のもの」と見なされてしまう。日ごろからもっと社会とつながっていたら、「演劇をやっている人たちも大変なんだ」と周りからの見方もまた違っていたのではないだろうか。そう感じました。
もちろんコロナ禍で世の中が等しく大変なときに、知らない業界のことをすぐに理解してもらうのは難しいということはよく分かっています。なので平時というか、ある程度日常が戻ってきたら、もっと演劇界から社会に働きかける機会を増やして、自分たちを知ってもらうことも大事じゃないかと思いました。そのひとつとして、今年はどんな作品や人が賞をとったというのが話題になる大きなイベントがあれば、関心を持ってもらえるし、演劇界全体も盛り上がって、世の中とつながっていけるのではないか。そんなことを、今回初めて考えました。
実際、それはトニー賞がもともと目指していたところでもあります。トニー賞が創設されたのは1947年。終戦後、まだブロードウェイにお客さまが十分戻ってきていない時期に、世間の注目を集めて、演劇界を盛り上げるためのイベントとして始まったそうです。
番組では、僕がホストを務めて、WOWOWのプロデューサーでトニー賞授賞式の中継に携わられている金山麻衣子さん、映画・演劇評論家の萩尾瞳さん、俳優・演出家の今井朋彦さんをゲストに迎えて、トニー賞をとっかかりに、日本の演劇界にふさわしい賞について話をしました。全員リモートで、台本はほとんどない1時間20分ほどのフリートークでした。いろいろな立場からの意見をうかがえて、すごく面白かったし勉強になりました。
すでに素晴らしい演劇賞がたくさんあるなかで、どうすみ分けるのか。役者同士で選出しあったり、演出家やスタッフが独自の視点で選ぶのも面白いのでは。観客やファンの声を反映させる仕組みも取り入れたい。派手だったり、目を引いたり、社会とつながったりといった、話題を広げていく方向と同時に、たくさんの人が見ていなかったとしても、良質な作品や人たちに光を当てる、きちんとした評価も賞の大事な役目。東京以外の町を拠点にして、町ぐるみで盛り上げるようなやり方もあるのでは……。
僕は漠然と、日本にもトニー賞みたいなものがあったらいいと思っていたのですが、具体的に意見を交換しているなかで、課題や道すじもうっすら見えてきたように思います。もちろん、これですぐにどうこうという話ではないですが、演劇界を知ってもらったり、新しい賞のあり方を考えたりするきっかけになればうれしいです。
みんなで助け合いながら、少しずつ前へ
番組の後半では、「勝手に演劇賞」を16部門で発表しました。こちらは僕の発案ではなく、みらい基金のスタッフの方に企画していただいたもの。投票人数3609人、投票総数3万5612票とたくさんの方に投票いただき、ありがとうございます。結果として、言い出しっぺの僕に票が集まってしまい、申し訳ない気持ちなのですが、そこはトライアルということで大目に見ていただければ。
みらい基金のほうは先日、5月末までに集まった約3100万円を原資に、個人や団体への第1回の助成が決まったとの報告がありました。個人の応募が1177件に対して助成は75件、団体の応募は193件に対して助成が9件でした。想定よりも多くの応募があったことで、今後の活動への資金ニーズが大きいことがあらためて分かり、迅速な助成を優先したために残念ながら採択率が低くなったとのこと。支援を必要とされている方に対して、助成が大きく足りていない状況なので、さらなる寄付金の積み上げが必要です。
演劇界はようやく公演が再開し始めましたが、新型コロナ以前の状況に戻るにはまだまだ時間がかかりそう。その間、みんなで助け合いながら、少しずつでも前に進んでいきたいですね。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第74回は2020年8月1日(土)の予定です。
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