ラジオパーソナリティー・坂上みきさん 育児で母追憶
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はラジオパーソナリティーの坂上みきさんだ。
――子育てをしていて、お母様のことをよく思い浮かべるとか。
「53歳で男の子を出産しましたが、すでに母は亡くなっていました。息子は今、わんぱく盛りの小学校2年生。子育てに悩むことも多い。でも、母に教わることはできません。口答えする子どもと衝突すると、『こんなとき、母ならどうしただろう』と考えます。逆に、うれしいことがあると、『母もこんな風に感じたのかな』と想像してみます。子育てをしながら、自分が育てられたあのころに思いをはせる。私にとって、子育ては『追憶の旅』です」
――愛情豊かなご両親の下で育ったそうですね。
「父はガソリンスタンドを経営し、母は経理を手伝っていました。親子の仲は良いが、ベタベタとした関係ではありませんでした。母は優しい人柄で、怒られた記憶がありません。姉と家のタンスをひっくり返したことがありました。母は慌てて飛んできましたが、ガミガミ言うことはありませんでした」
「母は洋裁が得意でした。父が、『明日、海に行くぞ』と言い出すと、母は私と姉の洋服や水着を徹夜でつくってくれる。鉄腕アトムの妹、ウランちゃんが編み込まれたセーターがお気に入りだったのですが、だいぶ着て、着れなくなると、学校の椅子にくくりつけて使う座布団に作り替えてくれました。母はこれという趣味も持たず、子どものために生きた人ですね」
――子どもの意思を尊重してくれた。
「8歳からピアノを習い始めたのですが、母は私が望む高価なピアノを買ってくれました。家計には、かなりの負担だったはずです。でも、本気で欲しいとわかると、望みをかなえてくれた。しかも、『買ったからには、練習してもらわないと』などのケチくさいことは一切言わない。娘に好きなことをさせてあげたい、と心から思っていたのでしょう」
「母はいつも、『意思を持っているなら応援する』と言ってくれました。大学で馬術部に入ったときも、アナウンサーを目指したときもそうでした。アナウンサー試験は激戦で、北海道から九州まで何社も受験するから費用がかかる。しかし、『心配しなくていいから』と気前よく出してくれました。テレビ局を辞めてフリーになる際も、励ましてくれました」
――お母様は、娘がなかなか結婚しないことを気にかけていたと聞きます。
「電話で話すと必ず、『誰かいい人はいないの』と聞かれました。一人でいるのとは違う幸せがあるというのですね。いまの夫と巡り合い、結婚の報告をする前に、母は亡くなりました。親不孝ですね。母の思い出は尽きません。私も息子に良い思い出を残してあげたいと思います」
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