あの偉人までも BLM運動で高まる英雄像撤去の声
米国で、かつて英雄とされた人物の銅像の撤去が相次いでいる。
バージニア州は、19世紀の南北戦争で奴隷制度を支持する南部の州として戦った。その州都リッチモンドに、モニュメント・アベニューと呼ばれる大通りがある。ここにはかつての南部軍人の像が立ち並んでいるが、今、それらが次々に倒され、撤去されている。州知事は、南軍司令官だったロバート・E・リー将軍の像の撤去を正式に発表した。
奴隷制度を支えた歴史的人物の像を撤去する動きは、かつての米国の大統領や、世界の「偉人」たちにも拡大しつつある。ジョージ・ワシントン初代米国大統領、ユリシス・S・グラント大統領、セオドア・ルーズベルト大統領のほか、英国では植民地時代の政治家ウィンストン・チャーチル、セシル・ローズ、さらにはインド独立の父マハトマ・ガンジーの像まで標的になっている。
公共の芸術作品や記念碑には、植民地政策や奴隷制度、白人至上主義の歴史を背景に持つものが少なくない。現在起きているのは、そうした歴史をいかに伝えるべきか、どう理解されるべきかを見直そうとする動きだ。
きっかけは、2020年5月25日にミネアポリスで黒人男性のジョージ・フロイドさんが警官に取り押さえられて殺された事件だった。その一部始終を撮影した動画が出回ったことで、警官の暴力や黒人差別に対する抗議活動が全米で巻き起こった。だが、この事件が起こるずっと以前から、変化を求める声はあった。フロイドさんの死は、それに火を付けたのだ。
だが難しいのは、何を見直し、切り捨てるべきかという問題だ。より完全な形で、正直に伝えるべき物語とは何か。歴史はどのように教えるべきなのだろうか。
現代の価値観をもって祖先の行った不道徳かつ残虐な行為を裁き、偉人とされる過去の指導者の生き方や遺産を再評価しようとするのは、簡単なことではない。それでもなお多くの国が、今の時代を理解し、より良くしたいがために過去の道徳観の破壊を受け入れようとしているように見える。
過去の人種差別主義を象徴する像や記念碑の撤去は、より公正な未来への重要な一歩だ。主に「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命は大切だ)」運動から発生した今の行動主義の波は、長らく先延ばしにされてきた構造改革への大きな一歩だと、一部の学者たちは考えている。
「今起こっている運動は、過去に例を見ない規模です。歴史を変えることになるかもしれません。多くの人の世界観が、わずか数週間のうちに変えられてしまいました」と、米バージニア大学の公民権・社会正義学教授ケビン・K・ゲインズ氏は語る。
「過去の人種差別撲滅運動の多くは、排除され、過小評価されてきました。けれど今、白人の子どもや学生たちがインスタグラムに『ブラック・ライブズ・マター』のスローガンを投稿したり、ニューヨーク州で平和的に行進していた白人高齢者が警官に押し倒されているのを見ると、この動きをあっさりと切り捨てたり無視したりはできない。これまで米国を支配してきた神話が崩されようとしているのです。米国に限らず、世界中で変化が起きています。米国では、ブラック・ライブズ・マターのスローガンの下で起こっている多人種運動です。それが、この運動の新しい、これまでにない点なのです」
英国の植民地政策にも波及
米国以外でも、英国のブリストルで、17世紀の奴隷商人エドワード・コールストンの銅像が海へ投げ込まれた。その1週間後、英オックスフォード大学は、敷地内にあったセシル・ローズの像を撤去することを決めた。ダイヤモンド鉱山で富を築いたローズは、現在南アフリカ共和国となっているケープ植民地の首相に就任し、南アフリカでのアパルトヘイトの基礎を作った人物だ。権威あるローズ奨学金の設立者として知られているが、白人至上主義者でもあり、南アフリカの黒人を白人よりも劣った人種であると考えていた。
だが、大学がどこまで過去に挑戦すべきかという議論は、オックスフォード大学の枠を超えて広がりつつある。
オックスフォード大学副総長のルイーズ・リチャードソン氏は、英国のBBCテレビに対して次のように語っている。「私個人としては、自分たちの歴史を隠すことが啓発への道ではないと考えています。この歴史を理解し、それが作られた背景や、当時の人々がなぜそのように考えていたかを理解する必要があります」
「オックスフォード大学には900年の歴史があります。そのうち800年もの間、大学を運営する人々は女性には教育を受ける価値がないと考えていました。こうした人々を批判すべきでしょうか。個人的にはそうは思いません。彼らは間違っていたと私も思います。けれど、彼らは彼らの時代という背景の中で裁かれるべきなのです」
クリストファー・コロンブスに関しても同様の論争がある。米オハイオ州コロンバスでは、市庁舎前に立つコロンブス像がまもなく撤去されることになった。1955年にイタリアのジェノヴァから寄贈されたものだ。アンドリュー・J・ギンザー市長は、多様性を支持し、全ての人種を受け入れる町の姿勢を示すために像を撤去し、倉庫に保管すると発表した。
「多くの人にとって、コロンブスの像は父権社会、抑圧、分断の象徴でした。それらはこの偉大な町を象徴するものではありません。私たちは、もはやこの醜い過去をひきずって生きることはありません」
では、今後コロンブスはどのように記憶されるべきだろうか。東アジアの豊富な資源を求めていたコロンブスは、その途上でアメリカ大陸を「発見した」とされてきた。学者たちは、コロンブスや彼の船員たちが先住民たちにレイプや奴隷化といった非人道的な扱いをしていたことを認めながらも、「新大陸」の父としての功績にばかり焦点を当ててきた。
米ハワード大学の歴史学教授アナ・ルシア・アラウホ氏は、「コロンブスは、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸征服を象徴する存在です。その結果アメリカ先住民が大量に虐殺され、奴隷にされました。その人口が減ると、今度は多くのアフリカ人がアメリカ大陸へ連れてこられたのです」と語る。
「奴隷制度のこと、大西洋をまたいだ奴隷貿易のこと、そしてアフリカ系子孫の歴史を、義務教育や大学で教えることを義務化すべきだと思います」と、アラウホ氏は言う。「米国は人種的に分離されたままです。白人は、奴隷制度とは黒人の歴史ではなく、米国の歴史であるということを認識すべきです。それは、被害者と加害者の歴史であり、過去の残虐行為を繰り返さないためにも知る必要があることです。たとえそれが、どんなに目をそむけたくなるようなものであっても」
100年後の世界は、今起こっていることをどう評価するだろうか。今新しく育っている若い世代の学者や社会活動家たちは、抑圧と人種的階級制度への挑戦者として知られることになるかもしれない。
哲学者であり詩人でもあったジョージ・サンタヤーナの言葉を借りれば、過去を忘れた者はそれを繰り返すことになる。過去の文化が行ってきたことを研究する者にとっては、心に重くのしかかる格言だ。
「歴史家として、過去が消されることに危機感を覚えます」と、バージニア大学のゲインズ氏は言う。「歴史をきれいに拭い去ってしまえば、これまでの人類の歩みや進歩が忘れられてしまうかもしれません。米国が白人至上主義の上に築かれた国であり、その結果に今も苦しめられているということを、後の世代は理解しなければなりません」
次ページでは、論争や分断の対象となった像や絵画を写真で見ていこう。
(文 PHILLIP MORRIS、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2020年7月2日付の記事を再構成]
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