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日本経済新聞電子版に連載したビジネスノンフィクションをドラマ化した「ネット興亡記」。ネットバブル崩壊、固定観念や規制の壁、組織の解体・消滅やスタートアップならではの成長痛――。登場した経営者ら本人の言葉には、逆境をはね返すための示唆も少なくない。多くの挫折や困難に直面しながらそれを乗り越え、時代を切り開くビジネスやサービスを生んできた彼らの軌跡にデジタル時代のサバイバル術を学ぶ。

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第3回はインターネットイニシアティブ(IIJ)の鈴木幸一会長。ドラマでは1994年に日本初となる商用インターネット接続事業を誕生させるまでの苦闘が描かれた。海の向こうでは新たな産業の芽が勃興しようとしていたが、当時の日本に「インターネットはすごいもの」という認識がなかった。野心を持ちI I Jを46歳で立ち上げたが、「こんなにも(周囲が)無理解だと思わなかった」と途方に暮れた。それでもネットの可能性を信じ続けて、日本のインターネット史の扉を開いた。

――10年ほどのサラリーマン生活、経営コンサルタントなどのキャリアを経て、IIJを設立してインターネットの世界に飛び込んだのは46歳でした。

「コンピューターサイエンスをベースに通信できないのかというテクノロジーに興味を持っていた。当時、慶応義塾大学助教授だった村井(純)さん、もうひとりはアスキー部長の深瀬(弘恭)君ら日本でのインターネットのグループと交流があった」

インターネットは20世紀最後の技術革新

「日本にインターネットを根付かせるためにも、あの年齢で会社をつくったのは良かったんじゃないかな。お金は出してくれなかったけど、いっぱい応援してくれる人がいる世代だった。それまで知り合った海外の友人からも色々と教えてもらえた。役所も含めて風当たりが強かったから、けんかもしていた。もっと若かったら話を誰も聞いてくれなかっただろう」

「インターネットは20世紀最後の技術革新で、それは時代を変えるかもしれないという意識が日本人にはなかった。コンピューターと通信が同じ技術基盤の上で動くと、それによってできる世界がどんなものになるか、想像するとすごいものになる。他の人は絶対的に世界を変えていくんだという目でインターネットを見ていなかった」

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