主人公の山村英夫が時計屋の店先をのぞいている場面です。彼はどうして時計屋をのぞいているのか。午後一時に喫茶店で待ち合わせをしているからです。時間を気にしてそわそわとしている情景が浮かびます。その山村英夫の姿、どこか吉行自身が投影されているような気がしてなりません。元来、彼は時間を気にするタチであったようなのです。自分でも作品の中でふれています。

腕時計をみる癖 その心理は…

「腕時計を見る癖がある。五分に一度は見る。自分一人でないときには、不都合なことになる。先を急いでいるような、あるいは退屈しているような印象を与えかねない。」

東宝映画「夕暮まで」の制作発表で女優の桃井かおりさん(右)と出席した吉行淳之介さん(1980年5月)

随筆「時計を見る」の中に、そう書かれているのです。ことに女性と会っている時には、この癖をさらけ出さないために、腕時計を相手に預けたりすることもあったとか。腕時計を見るのが本当に「五分に一度」なら、これは多すぎると言わざるを得ません。

ただ、こんなことも言えるのではないでしょうか。腕時計を見る、という行為は、今この時の自分の存在を確認すること、自己確認の行為でもあります。ひいては自意識の表れ、と見ることもできましょう。文壇随一のダンディーでもあった吉行が内に秘めていたであろう、ナルシシズムにつながるものとみていいのではないでしょうか。

野間文芸賞を受賞しあいさつする吉行淳之介さん(1978年12月、東京・丸の内の東京会館)

コレクターである吉行はどうも、周囲の者が付けている時計も気になっていたようです。

「数年前のことだが、ある小さなバーに行くと、安部公房がいた。久しぶりに会ったのだが、スポーツカーを運転するときに似合いそうな真黒い頑丈そうな時計をしている。」

これは吉行の随筆、その名もずばり「腕時計」の冒頭です。今流行のモデルで言うなら、オールブラックのダイバーズウオッチでしょうか。酒場で、久々に友人に会って、まず最初に腕時計に目がいく。時計マニアの面目躍如といったところでしょう。

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