科学五輪の代表になるためには厳しい国内選考があるのはスポーツと同じだ。国内1次予選の参加者は、7分野の合計で18年に2万人を超えたが、そのうち代表となれるのは30人程度だ。「狭き門」だが、挑戦することそのものにも意義はありそうだ。

20年3月に科学技術館(東京・千代田)で開かれた生物学五輪の代表選抜試験(3次試験)には「ファイナリスト」として16人が参加した。試験後、私立白陵高校(兵庫県高砂市)2年(当時)の後藤優奈(ごとう・ゆうな)さんは「高校でやらない範囲を含めて学ぶ機会が得られたことはすごく大きい。深い知識を求めるモチベーションが上がった」と喜び、県立唐津東中学校(佐賀県唐津市)3年(同)の岡本陽(おかもと・はる)君は「楽しい大会を通して培った生物学の知識や考察力を将来に生かしたい」と話した。最終的に代表の4人枠には入らなかったが、自身の成長を実感する経験だったようだ。

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スポーツの五輪と同じように科学五輪にも「レジェンド」はいる。そして彼らが活躍している舞台は、大学などの研究機関とは限らない。独自のキャリアを歩む2人のレジェンドに、科学を学ぶ面白さや価値を聞いた。

「物理学の作法」どこでも通用

物理2大会連続「金」 村下湧音さん

企業エンジニアとして、よりよき社会をつくるための技術革新に取り組む村下湧音さん

「実は今の仕事で物理の知識が生かせる機会は少ないんです」。3次元データの加工・解析を手がけるエリジオン(浜松市)で技術開発を担う村下湧音(むらした・ゆうと)さん(29)はそう語りながら、むしろ楽しそうだった。同社は年商30億円程度の中小企業ながら、開発陣の半数が東大院修了という頭脳集団。「尊敬できる先輩がたくさんいて、刺激が多い」と喜ぶ。

元数学教師の母親の勧めもあって灘中学・高校(神戸市)時代に物理五輪に挑戦。高2、高3だった07年と08年に連続して金メダルを獲得した。東大に進み、大学院でも物理を専攻し続けたが、論文作成の日々に追われる中で疑問がきざした。「何のための研究か」「自分は社会の役に立っているのか」――。

気づけば企業の採用情報に目を通す自分がいた。社員が作る数学の難問を解ければ採用というユニークな条件のエリジオンにひかれ、創業者の小寺敏正氏から「日本は才能ある人材が正当に評価されにくい。非凡な人材が集まり、才能を発揮して社会に貢献する会社をつくりたかった」と聞き、入社の意思を固めた。

物理学の知識を使う機会は限られても「物理学の作法」は仕事のあらゆる場面で生きていると実感する。基本理論に立脚して情報を取捨選択し、答えに近づいていく。物理五輪での粘りにつながった「どんな複雑な現象でも、丁寧に向き合えば必ず説明できる」との信念は揺らいでいない。

「大学で研究に没頭した時間が無駄だと思ったことは一度もない」。その断言は、同じ科学の道を歩む後輩へのエールのようにも聞こえた。

できる・できないの前に「踏み込む」

日本人女性初の「金」 中島さち子さん

数学・音楽・教育の分野で活躍する中島さち子さん

高2だった1996年の数学五輪で日本初の女性金メダリストになった中島さち子さん(41)は、東大卒業後、ジャズピアニストの道に進み、現在は芸術や技術などと数学を結びつける教育活動にも携わっている。スポーツを通じた教育事業を手がけるSTEAM(スティーム)スポーツラボラトリー(東京・港)取締役などビジネスパーソンの顔ももつ。

数学にはまったのはフェリス女学院中学・高校(横浜市)時代。「数学者でアーティストのようだった」おじや、定理の美しさをうれしそうに語る教師の影響を受けた。何よりひかれたのは「哲学っぽさ」。「奥に何かあるのはわかるのに十分に見えないような深さ。仮定や視点を変えるだけで常識が常識でなくなる面白さ。自分が解放されていくような気持ちになった」。ひとつの証明も結論への道筋はいくつもあり、それぞれに個性が現れるという。

数学を学ぶ意味について、数学者の岡潔(おか・きよし)の言葉を引き「情緒を養う」ことをあげる。「数学は論理の学問と思われがちだが、美しいものをありのまま美しいと感じる力も必要。小さな頃から学ぶことで感性が育まれる」。そして「車の渋滞からコロナウイルスの状況把握まで、社会のいたるところで数学が使われている。それが見えてくると、発想そのものが変わってくる」と説く。

学習を含め何かに取り組むときのコツは「面白いと思ったら、とにかく踏み込んでみること」。結果がどうであれ、何か好きなものを共有できる仲間が生まれ、ひとりでは見えなかったものが見えてくる。「物事を『できる・できない』の基準で判断するのは本当にもったいない。どれだけきれいごとと言われようが、これは言い続けたい」と力説する。

生年の数字「1979」は素数。実は月日の数字を並べた3ケタも素数だ。素数は2、3、5、7、11、13など、1と自分以外に約数をもたないひとつひとつユニークな自然数だが、無限に存在することも知られている。「私、素数に反応しがちなんです」。どこか人間を見るまなざしに通じている。

(大西穣、天野豊文)


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