プロレスラー・橋本大地さん 父とは違う形で一流に
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はプロレスラーの橋本大地さんだ。
――お父様(プロレスラーの故・橋本真也さん)との思い出は。
「家では優しく、普通の父親でした。いたずらしたらひっぱたかれましたが、一緒に遊んでくれました。父はヒーローの趣味に凝っていて、ウルトラマンや仮面ライダーのフィギュアで一緒に遊びました。超合金のマジンガーZなど父のお宝グッズは触らせてもらえませんでしたが」
――同じプロレスラーの道に進みました。
「私が13歳のとき、父が突然この世を去りました。死の直後はぼうぜんとしていて、葬式で涙一つ流さない自分が非情にすら思えました。ただ、出棺して火葬場の中に父が消えると涙がこみ上げ、その場で崩れ落ちてしまいました。自分が父を継がなければ……。そのとき、プロレスラーになろうと誓いました」
「母は私の夢に反対していました。私が学生のころには三沢光晴さんが試合で命を落としました。危険が伴うのはもちろん、その割に稼ぎが少ないスポーツであることも母は知り尽くしていました。しかし私の意志は揺らぐことなく、最後は母も諦めてくれました」
「デビュー戦は19歳のとき、父が立ち上げた団体『ゼロワン』設立10周年大会でした。プロレスラーは体づくりなど基本が整ったタイミングでデビューするのが一般的ですが、私は日時が先に決まっていたので、限られた時間でコンディションを整えるしかなく、必死でした」
――2015年にはお父様の復活祭を開催しました。
「ファンの方に父のことを忘れないでもらいたいとの思いがありました。一方で橋本真也という名前を何度も出すのは、墓を掘り起こすようなもので、1回限りと決めてやりました。今は再びやろうとは思いません」
――17年に初めてチャンピオンベルトを獲得しました。
「プロレスラーとして団体を引っ張る責任ができたと、身の引き締まる思いでした。父の墓前に『やっとチャンピオンになったよ』と報告をしました。父の過去のビデオを見ていたら、チャンピオンベルトを持って祖母の墓参りをする場面が映っていました。父と同じだという感慨で胸がいっぱいになりました」
――お父様が亡くなって15年、追いついた実感は。
「子供のころは会場で父が闘う姿を見ていましたが、試合映像で本格的に勉強するようになったのはプロレスラーになってから。ファンが喜ぶと思い、父と同じ『DDT』という必殺技を使い始めました。でも今は自分の技として認められるよう努めています。俊敏な動きが武器でボクシングやレスリングなども経験しました。父とは違う形で一流になりたい。『自分の名前で戦え!』。生きていたらそう言ってくれるはずです」
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