「うまいコーヒー」はブレず ブルーボトルが探る未来
ブルーボトルコーヒー 井川沙紀さん(下)
2015年の日本進出以来、ブルーボトルコーヒージャパン(東京・江東)が開業した店は18店(うち1店は閉鎖)を数える。最新の店は6月24日に横浜駅西口に開いた「NEWoMan YOKOHAMAカフェスタンド」。当日は天候にも恵まれて来店者が行列し、コアなファンの健在ぶりを印象づけた。新型コロナの影響は予断を許さないが、今年も年間4店前後の開設を見込んでいる。(前回の記事は、「ブルーボトルがコーヒービール 「新常態」で顧客開拓」)
創業以来18年間で米国やアジアに90店以上のチェーン網を広げた米ブルーボトルコーヒー。その成長シナリオに転機が訪れようとしている。米本社のアジア担当役員(President,Asia)である井川沙紀さんは「個人的には今の仕様で多店舗展開を続けるのは難しいと思う」と話す。
理由の一つはもちろん新型コロナ。そして「ブルーボトルらしさ」と成長の両立という課題も横たわる。ブルーボトルはフリーランスのクラリネット奏者だった創業者、ジェームス・フリーマンさんの感性とこだわりを反映した世界観を訴求してきた。すべて異なるデザインの店づくり。日本の喫茶店を参考にした丁寧なハンドドリップ。店員と客の対話を重視するオペレーション。チコリで風味付けした水出しアイスコーヒーを使う「ニューオリンズ」やほろ苦いエスプレッソ飲料「ジブラルタル」など独特のメニュー展開。果たしてコロナ後も同じスタイルを継続できるのか。どこかで成長と創造性のジレンマが生じる恐れはないのか。
「このまま多店舗化を進めていくと、いずれ投資や運営の効率などが課題に上がることになるでしょう。でもブルーボトル本来の世界観から離れた店をつくるようになれば、そのデメリットは大きい。どこまで自動化できるのか、従来とは異なる接客のあり方とは、といったコロナ後の新しい運営スタイルについて、議論を始めたところです」
井川さんが担当するアジア地域での多店舗化、特に中国本土への進出も大きな課題だ。現地で調査を進めてきたがコロナ禍でプロジェクトは一時中断。近年、中国はコーヒーブームに沸き、本土に先駆けて4月末に開いた香港の1号店は情勢不安にもかかわらず盛況だった。待機を強いられる現状は歯がゆいばかりだ。
「ブルーボトルらしさ」とは創業者フリーマン氏の個性
「アジアでは、ブルーボトルといえば日本のイメージが強いことを再認識しました。香港で採用したバリスタは皆、日本の店しか行ったことがないそうです。その意味で"ブルーボトル体験の総本山"としての日本の店づくりはものすごく重要です」
井川さんの強調する「ブルーボトルらしさ」は、フリーマンさんの個性そのものだ。その人柄を井川さんは「アーティストであり、ギーク(卓越した知識の持ち主)。研究肌で、こだわり屋。トレンドに関係なく純粋に面白いことを思いつく発明家みたい」と表現する。
「以前、彼のラボでコーヒーのテイスティングを頼まれたことがあります。抽出に使う水のph(ペーハー、酸とアルカリの度合い)を微妙に変えてみたというんですけど、私には違いがわかりませんでした。彼はそうした研究の成果をノートに事細かく書き留めています。音楽家として完璧に演奏できた日は一度もないけれど、コーヒーはたまにおいしくできたと思える日があるから頑張れる、と言っています」
日本では往々にしてブルーボトルは第3次コーヒーブーム「サードウエーブ」の寵児(ちょうじ)と称される。だが実際にはこのムーブメントにおいても、同社が扱うスペシャルティコーヒーの分野においても先達がいる。1990年代に創業し「スペシャルティの御三家」と言われる米国のスタンプタウン、インテリジェンシア、カウンターカルチャーなどだ。ただ、この3社も買収などを経て今は先鋭的な輝きを失っている。
一方、ブルーボトルは2012年に米IT(情報技術)企業などから多額の出資を受けたのを機に成長に弾みをつけ、感度の高い消費者の心をとらえた。日本進出時に「コーヒー業界のアップル」とはやされたのもこんな経緯が一役買っている。IT企業の出資取り付けで奔走したのが、実業家で現最高経営責任者(CEO)のブライアン・ミーハンさんだ。
「フリーマンさん一人では今のブルーボトルの姿にはなっていなかったと思います。彼はドリーマーなので、考えを形にするのは得意ではない。ミーハンさんらと役割を分担しながら、彼の発想をひとつひとつ現実化してきたといえます」
ベンチャー精神保ち、混沌とした市場の深掘り目指す
自分の感性を頼りに「おいしいコーヒーの提供」というミッションを追求し、独自スタイルのカフェの創造に専心する姿勢にはスタートアップ、ベンチャーの精神があふれている。そして4度の転職を重ねた井川さんの経歴も「スタートアップ」「ベンチャー」というキーワード抜きには語れない。
井川さんは「元来ビジネス志向ではなかった」というが、新卒で就職した大手人材サービス会社では留学・旅行サービスの子会社に配属され、新規事業の立ち上げに携わった。パリでの民泊事業や人材紹介会社の設立と、3年間奔走するなかでビジネス創造の醍醐味を知った。
「ゼロベースで新規事業を学びたい」と思い最初に転職したベンチャー育成会社ではPR業務を担当。次に企業支援会社のリヴァンプに入社して米プレッツェル専門店の日本法人第1号社員に。人材採用や資材調達など管理業務を幅広く経験した後、トリドールに移ってハワイの基幹店開設に携わった。そしてフリーランスのPRとして独立を考えていた矢先、日本進出を控えたブルーボトルからPR担当の人材として招かれた。
感性の人であるフリーマンさんは、思いつきを独特の言い回しで発言する。その難解な「フリーマン語」の真意をくみ取り、現場にわかりやすく伝える翻訳者の役回りを井川さんが果たすことも多い。「いろんな意味で"つなぐ"のは得意です」。これは未成熟な組織のPR業務に深く携わってきた経験のなせる業だ。
こんな個性的な創業者の理念を表現し続けるブルーボトルを巡り、衝撃的なニュースが17年に世界を駆け巡った。スイスの食品世界最大手のネスレが株式の68%を取得したのだ。巨大資本傘下で独特の世界観を守れるのか、と不安視する声もあがった。井川さんは「ネスレとの関係は出資当時から変わらず、日々の運営にはノータッチ」と話す。一般小売業への卸売りなど新規事業についての議論はありそうだが、今のところ大きな路線転換は見られない。ベンチャー精神もいまだ健在という。
「おいしいコーヒーの提供という理念はブレないまま、その表現方法を今も模索し続けています。フリーマンさんもミーハンさんも『イノベーション』という言葉を頻繁に使うし、クレージーなアイデアがほしいという意識はすごく高い。そしてたいてい、最初に声を上げるのはフリーマンさんです」
サードウエーブ後のコーヒー業界の行方はコロナ禍で予測困難になった。ブルーボトルは創業以来のベンチャー精神を保ちながら、混沌とした市場のさらなる深掘りを目指す。だが、ドラスチックな変革を資本の力に委ねる日が来る可能性も否定できない。フリーマン語を翻訳して日本とアジアのビジネスに反映させ、「ブルーボトルらしさ」の競争力を示すことが井川さんの役回りだ。その重責は、ベンチャー精神を愛する井川さん自身が深く理解している。
(名出晃)
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