フリーマンさんは深煎り全盛の時代に「自分がおいしいと思うコーヒー」をつくるためガレージで焙煎(ばいせん)を始めた。東京・渋谷の「茶亭 羽當」など日本の喫茶店のハンドドリップに感銘を受けた(写真:ブルーボトルコーヒー)

「ブルーボトルらしさ」とは創業者フリーマン氏の個性

「アジアでは、ブルーボトルといえば日本のイメージが強いことを再認識しました。香港で採用したバリスタは皆、日本の店しか行ったことがないそうです。その意味で“ブルーボトル体験の総本山”としての日本の店づくりはものすごく重要です」

井川さんの強調する「ブルーボトルらしさ」は、フリーマンさんの個性そのものだ。その人柄を井川さんは「アーティストであり、ギーク(卓越した知識の持ち主)。研究肌で、こだわり屋。トレンドに関係なく純粋に面白いことを思いつく発明家みたい」と表現する。

「以前、彼のラボでコーヒーのテイスティングを頼まれたことがあります。抽出に使う水のph(ペーハー、酸とアルカリの度合い)を微妙に変えてみたというんですけど、私には違いがわかりませんでした。彼はそうした研究の成果をノートに事細かく書き留めています。音楽家として完璧に演奏できた日は一度もないけれど、コーヒーはたまにおいしくできたと思える日があるから頑張れる、と言っています」

「NEWoMan YOKOHAMAカフェスタンド」は本来、バスターミナルに面したスタンド形式のみの店だが、当面はテーブル席のスペースも用意。開業当日には順番待ちの行列ができた

日本では往々にしてブルーボトルは第3次コーヒーブーム「サードウエーブ」の寵児(ちょうじ)と称される。だが実際にはこのムーブメントにおいても、同社が扱うスペシャルティコーヒーの分野においても先達がいる。1990年代に創業し「スペシャルティの御三家」と言われる米国のスタンプタウン、インテリジェンシア、カウンターカルチャーなどだ。ただ、この3社も買収などを経て今は先鋭的な輝きを失っている。

一方、ブルーボトルは2012年に米IT(情報技術)企業などから多額の出資を受けたのを機に成長に弾みをつけ、感度の高い消費者の心をとらえた。日本進出時に「コーヒー業界のアップル」とはやされたのもこんな経緯が一役買っている。IT企業の出資取り付けで奔走したのが、実業家で現最高経営責任者(CEO)のブライアン・ミーハンさんだ。

「フリーマンさん一人では今のブルーボトルの姿にはなっていなかったと思います。彼はドリーマーなので、考えを形にするのは得意ではない。ミーハンさんらと役割を分担しながら、彼の発想をひとつひとつ現実化してきたといえます」

次のページ
ベンチャー精神保ち、混沌とした市場の深掘り目指す