ブルーボトルがコーヒービール 「新常態」で顧客開拓
ブルーボトルコーヒー 井川沙紀さん(上)
関東地方の梅雨入りが発表された6月11日、東京・広尾に開業したブルーボトルコーヒージャパン(東京・江東)のカフェで、同社では初めてのビールがメニュー表に載った。
クラフトビールの伊勢角屋麦酒(三重県伊勢市)と共同開発した「コーヒー ペールエール」。ブルーボトルの定番ブレンドのコーヒー豆を漬け込み、風味にフルーティーなアクセントをつけた。同18日からは他の店でも瓶入りの販売を開始。年来のファンの反応も悪くないようで、「平日の昼間でも結構売れています」と広尾カフェの店員は声を弾ませる。
もっとも、米ブルーボトルコーヒー創業者のジェームス・フリーマンさんは当初、ビール販売には懐疑的だった。「それ、ちょっと違うんじゃない?」と。実は2002年創業のブルーボトルも一時期、クラフト系ビールを米国の数店で販売したことがある。それにもかかわらず、異を唱えたのだ。
「普通なら、創業者がそう言えばそこで終わっちゃう。でも、私たちがつくりたいのは爽やかなコーヒービールであり、ちゃんとこういう意味と目的があって、と説明すると、ああ、それならやったほうがいいよ、と一転して理解してくれました」
17年末まで日本法人の代表を務め、今は米本社のアジア担当役員(President,Asia)である井川沙紀さんは笑顔でこう振り返る。では、そのビールに込められた意味と目的とは何だろう。
「コロナ後の消費は、上質なものと中途半端なものを厳しく選別してお金を払う、そんな傾向が強まるでしょう。ブルーボトルの芯はあくまで『おいしいコーヒーの提供』であり、そこはブレません。新型コロナによる営業自粛が明けた後、『開くのを待ってた』というお客様がすごく多くて、ウチのこだわりの正しさを再確認できました」
「ただ、今後さらにビジネスを伸ばすには、頻繁にコーヒーを飲む人だけでなく、その"外側"にいる人たちも顧客に囲い込んで、ブルーボトルの『コミュニティー』を広げる必要があると思うんです。例えばクラフトビールが好きな人は、食材の鮮度にこだわり、オーガニックや地産地消への関心が高いのでは。こういう人こそブルーボトルに共鳴し、ウチのコーヒーに価値を感じてくれるはずです」
クラフトビール愛好家はブルーボトル顧客予備軍
手ごろなコンビニコーヒーを毎日飲む人よりも、クラフトビールに関心を持つ人のほうが、品質と生産履歴を重視する「スペシャルティコーヒー」を扱うブルーボトルに価値観は近い。そんな顧客予備軍を自社のコミュニティーに誘い込む格好の商材、という見立てのもと、ペールエールは投入された。単に大人の客の選択肢を増やすのが狙いではない。見据えるのは、従来のファン層とリアルな店舗の集客力だけには頼れなくなる「コーヒー市場のニューノーマル(新常態)」だ。
消費者の関心を引き寄せるうえで重視するのが「ストーリー」という要素。「背景」あるいは「買う理由」ともいえる。井川さんは「コンテクスト(文脈)」という言葉を使う。その商品の何が特別なのか、それにお金を払うと何につながるのかーー。ビールならば作り手の顔や生産方法のこだわりがそれにあたる。商品が備えるストーリーを示し、それを買ったり経験したりする意味を伝えることで、新旧の客との絆を深めていく。「今まで以上に、そのことを意識していきたい」と井川さんは話す。
15年、世界的な第3次コーヒーブーム「サードウエーブ」の象徴として日本に上陸したブルーボトルは現在、首都圏と京都市、神戸市に17店を展開する。井川さんは1号店開業を間近に控えた14年11月に広報・人事マネジャーとして入社。担当外の業務も幅広くこなし、15年6月には日本法人の代表に就いた。そして上陸5周年の年に見舞われたコロナショック。今も日本法人の戦略を統括する井川さんはコロナ後の成長を託す新手を矢継ぎ早に繰り出す。ネットの活用もその一つだ。
楽天市場に出店している既存のオンラインストアは、コロナ禍でコーヒーを家で飲む人が急増し、早々に予算を達成してしまった。自宅消費が拡大するとみた井川さんは、本来は今秋の予定だった自社サイトの立ち上げを4月末に前倒しした。
「まずはずっとやりたかった豆の定期購入(サブスクリプション)を始めました。ただ、個人的には物販だけでなく、自社サイトを上手に使って顧客を緩やかにコミュニティー化することにも力を入れたい。そのために様々な企画を考えました」
具体策の一つが、5月から6月にかけて開催したオンラインの「ファーマーズマーケット」。創業期、フリーマンさんが自ら焙煎(ばいせん)した豆を地元のファーマーズマーケットで販売したことにちなみ、日本法人が食材を調達している生産者を主要店に招いて開いていた催しを、初めてネットで展開した。
ネットも駆使してコミュニティーを拡大
コーヒー豆と野菜や卵を詰め合わせたセットは好評で、最終回は1日で売り切れた。6月下旬から7月下旬にかけては、京都の生産者のパンと蜂蜜を組み合わせた第2弾を実施中だ。
モノだけではない。コトのイベントにもネットを活用する。7月の11日と15日には、今まで店舗で催してきたドリップセミナーを初めてオンラインで開催する。
「オンラインのサブスクとかは米国でかなり活発に展開しています。でも、日本で開いているような企画は前例がありません。サブスク会員を店頭でどう優遇するかといった、オンラインとオフラインの連携については日米で一緒に検討していくことになります」
井川さんが重ねて口にする「コミュニティー」では、もちろんコーヒーが大事な役割を果たすが、必ずしも主役を張るとは限らない。ファーマーズマーケットのように、時には後景に退くこともある。日々、消費者に訴求するポイントもコーヒーの周辺にも及ぶ。例えばブルーボトルが独自開発し、店で使っている有田焼のドリッパーについては、日本の繊細な技術と作り手の顔を伝えることに心を配る。
井川さんはブルーボトルが提供するコーヒーの品種や味わいにとどまらず、コーヒーを媒介として食のあり方やライフスタイル・生活哲学を提示することに大きな価値があると話す。ごくすんなりと、そんな認識に至ったのも、4度の転職を経てブルーボトルに参画した井川さんが「生粋のコーヒー業界人」ではないからかもしれない。
「私はまだまだコーヒーについては素人。もちろん好きだし、今は思い入れもあります。素材を大事にする考え方とか、購入する場所や器の選び方とか、コーヒーにかかわる色々なものに意味やコンテクストがあって、生活に彩りや豊かさをもたらしてくれる。そしてコーヒーにはほかの商材では代替できない魅力がある。私はそこに惹(ひ)かれます。
井川さんは、ブルーボトルでは自身が共感するコーヒーの普遍的な世界観を自由に表現し、消費者に伝えられると語る。
「私が今もここで働いているのは、ブルーボトル自体にたくさんのコンテクストがあるから。そしてもうひとつは、コーヒーの会社だからなんです」
(名出晃)
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