指揮者型リーダー育てる「すずかんゼミ」 原点は灘高鈴木寛・東京大学教授兼慶応義塾大学教授(下)

官僚を目指して東大に進学、その後通産省(現在の経済産業省)に入省した。

「高校時代はとにかく忙しかった。最小限の時間で最大の効果が出る勉強を心がけた」と振り返る

学生時代の仲間からは音楽関係の仕事に就くと思われていました。勉強はそっちのけで、ミュージカル劇団の音楽監督として指揮をとり、作曲をして下北沢の舞台でも活躍していました。国家公務員一種の試験も1年留年して合格すればいいだろうと思っていましたが、大学4年生で受けたら、成績はパッとしませんでしたがなんとか合格。集中的に勉強したのは1カ月程度でしたが、最小時間で最大効果の学習法が実り、それで通産省の面接に行ったら、「音楽監督なんて面白いじゃない」といわれ採用された。

通産省時代はJリーグ創設のほか、産業振興や地方創生などいろんな仕事をやりましたが、節目となったのは1995年です。山口県に出向して、工業振興の旗振り役をやっていました。萩市にある吉田松陰の松下村塾には2年間のうち約20回も訪問しました。幕末期の2年足らずの間に明治維新で活躍した伊藤博文ら90人あまりの弟子を育てたことに感銘を受けたからです。もう1カ所、鹿児島の加治屋町でも西郷隆盛や大久保利通らが「郷中教育」で育てられた。こんな小さなコミュニティーから日本を変える原動力となった逸材が育ったのは驚きでした。これが「すずかんゼミ」を創るきっかけになりました。

余談ですが、山口県時代にある経営者と出会いしました。地元の山口銀行幹部から「この会社に融資すべきか迷っているが、鈴木さん一度、社長に会ってもらえないか」と頼まれ、話してみると、その経営者が実に理論整然とした話しぶりだったので驚いた。「こんな素晴らしい経営者にこれまで会ったことがない」と思わず銀行幹部に太鼓判を押してしまいました。その経営者というのは、「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正氏。当時は山口を本拠地とする地方の中堅企業だった。

95年1月に阪神大震災に見舞われ、故郷の神戸が被災。同3月には東京・霞が関でオウム真理教地下鉄サリン事件が起きた。

いずれも僕の関係する場所だったので大変な衝撃でした。その後、山口から東京に戻った僕は、省内でITなどを担当。そして自主ゼミとして「すずかんゼミ」を立ち上げ、最初は8人の東大生が集まりました。どんどん人の輪が広がり、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の学生が増えた。インターネットの勃興期だったので、週末になるとゼミの学生たちと集まり、「ネットで世界を変えよう」と熱く語り合っていました。

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