震災、父の死、経済的な不安、うつ病……。慶応義塾大学での研究成果が「優秀卒論」の評価を受け、この春に社会人として一歩を踏み出した阿部愛里(あべ・あいり)さんの人生は試練の連続だった。それぞれ挫折につながってもおかしくない壁を、彼女はどう乗り越えてきたのか。もし全国で同じような境遇に苦しむ若者がいるなら、その軌跡が生きるヒントになるかもしれない。
ふるさと気仙沼を襲った東日本大震災
「将来はプロの和太鼓奏者になるつもりだった」。漁港の街として知られる宮城県気仙沼市は和太鼓が盛んだ。4歳で習い始め、地元ジュニアチームの一員として小学6年のときに全国大会で優勝した。ベトナムや中国でも公演し「和太鼓を通じた国際協力」が将来の夢になった。大学に進学する発想はなく、高校は福祉について専門的に学べる市内の宮城県気仙沼西高校を選んだ。
中学3年の卒業式を翌日に控えた2011年3月11日、自宅に1人でいるときに大きな揺れに襲われた。東北地方の太平洋沿岸を直撃した東日本大震災。倒れかかってくる電柱を避けながら逃げた。
自宅の100メートル手前まで津波が押し寄せた。家族は最悪の事態を免れたが、気仙沼市の死者と行方不明者は合計で1400人を超えた。がんで闘病中の父を助けながら家計を支えていた母は職を失い、転職したが収入は大きく下がった。被災した他の高校の生徒たちと同じ校舎で授業を受けるなど学校生活も落ち着かない。そうした中、被災地の高校生支援に取り組むNPO法人底上げ(宮城県気仙沼市)のメンバーと出会い、ボランティアで訪れた大学生や社会人らと対話する機会を得た。
「自分の地元ではない人たちが気仙沼の将来のことを真剣に考えているのに、私たちは何をしているのか」。そう感じた阿部さんは周囲に呼びかけ、高校2年のとき「底上げYouth」を結成する。観光を盛り上げる活動を続けるうち、ある思いが募った。「もっと勉強をしないと。大学に行こう」
家庭の経済事情は厳しかった。両親はプロの和太鼓奏者になることを望んでいた。そして高校3年のとき、父が他界する。「人はいつ死ぬかわからない。限られた人生に私は何をしたらいいのか」と自問した。