外野に反発し続け、国際仲裁の道へ 小原淳見さん
弁護士(折れないキャリア)
もともとは弁護士を志望していたわけではない。「東大卒だと女性は就職できない」「女性が法律をやるもんじゃない」という外野の声に反発し続けてきて今がある。「やりたいことをしようとするとブロックされる。ずっと衝突してきた」と振り返る。
すでに男女雇用機会均等法が施行されていたものの、企業は東大女性の採用に冷淡だった。履歴書を送って電話がかかってもきても、名前から男性と勘違いしたのか、女性だとわかると切られた。準備をしていた司法試験で無事合格。しかし、検察官や裁判官も「家庭に入ったら?」と採用に消極的だった。
女性のパートナー弁護士が活躍していた長島・大野法律事務所(現、長島・大野・常松法律事務所)に入所した。1998年に1人目の子供が生まれ、翌年、夫の大阪転勤に伴い、休職。当時は社内弁護士が珍しい時代だったが、メーカーの知財部で弁護士として働きながら子育てをした。
2人目が生まれ、夫より先に東京に戻り復職した。親の助けを得つつ、2人の子育てをしながらの仕事に忙殺された。ところが、夫の次の転勤先は東京ではなく米ワシントン。復職して半年後に再度休職した。「仕事も家庭も100点の人なんていない。どちらも80点でも100点を超えるし十分じゃないか」。トップが快く送り出してくれた。
帰国とともに、2005年に復職。「フラフラしてきた自分に何ができるのか、不安だったたときに出会ったのが国際仲裁だった」。裁判ではなく、自分たちでルールを決めて第三者である仲裁人に判断を委ねる仲裁は、今でこそ国際紛争の解決手段として広く認知されているが、当時は新しい分野。知財紛争の仲裁案件が持ち込まれ、大阪時代の経験が生きると手掛けたら、一気に魅了された。
仲裁人は判断を当事者に納得してもらうため、裁判の歴史が長い欧州の高齢男性が伝統的に多い。近年は英国の女性弁護士が中心となって、国際仲裁に女性を増やす動きが出てきた。
国際仲裁は言語の問題に加え、各国の当事者とのやりとりに時差が絡む激務で女性は少ない。それでも「仕事と子育ての頑張り時は同時に来る。誰かのせいにして辞めたら絶対後悔する」。次世代の仲裁の担い手たちにエールを送る。
(聞き手は世瀬周一郎)
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