変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

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日本経済新聞電子版に連載したビジネスノンフィクションをドラマ化した「ネット興亡記」。ネットバブル崩壊、固定観念や規制の壁、組織の解体・消滅やスタートアップならではの成長痛――。登場した経営者ら本人の言葉には、逆境をはね返すための示唆も少なくない。多くの挫折や困難に直面しながらそれを乗り越え、時代を切り開くビジネスやサービスを生んできた彼らの軌跡にデジタル時代のサバイバル術を学ぶ。

第1回はサイバーエージェントの藤田晋社長。起業して2年で、2000年に26歳で当時、独立系として最年少で上場を果たした。時代の寵児(ちょうじ)ともてはやされたが、ITバブルが崩壊すると手のひらを返したようにバッシングされた。

「長い時間軸でみれば自分の正しさは証明されるはず」。今ではそう自信をもって言えるが、当時は「無能な経営者」の烙印(らくいん)まで押されて会社を手放そうとまで思い詰めた。それでもギリギリのところで踏みとどまり、自らを静かに客観視してキャリアを積み重ねてきた。そんな激動の起業家駆け出し時代に、同世代でただひとり、嫉妬した人物がいた。「ホリエモン」こと堀江貴文氏だ。

――高校生で起業家の道に進むということを口にしています。

「平凡な人生が嫌で、何でもいいから何者かになりたかった。起業家を選んだのはどちらかというと消去法です。ミュージシャンやスポーツ選手になりたいと思いました。でもなれない。仲間がミュージシャンを目指すというので、『それなら俺がレコード会社を作ってデビューさせてやる』と思ったのが高校3年生。それがきっかけといえば、きっかけだった。ちなみにこの友人は後に本当にメジャーデビューしました」

――サイバーエージェントはIT企業専門の営業代行業でスタートしたが、当初は事業内容を決めずに起業しました。

「事業内容を決めずに会社をつくったというと意外に思う人もいるし、まねしてしまう若い人もいるので、逆に心配しているところもある。僕は名もなきベンチャー企業の2社で営業の仕事をした経験があって、自分たちが食べるだけの会社をつくれるという、なんとなくの手応えがあった。どんな社名であったとしても。とりあえずスタートを切るには、何でもいいという感覚がありました。若い人が強みを発揮でき、伸びている分野という意味でインターネット市場を選んだのです」

「『21世紀を代表する会社をつくる』と明文化したのは3年目だが、すごい会社をつくるぞという発想は最初からあった。若くて経験もなかったので、まずやってみる。経験を積みながら考え続けようと。事業内容も走りながら考えましたが、外してはいけないポイントとして、営業代行のままですごい会社になるには非常に難易度が高いと。自分たちのプロダクトをつくって、それを強みにしないといけないというのを初めから感じていました。それを起業して半年以内に見つけて集中し始めた」

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