ホリエモンに嫉妬 サイバー藤田氏の「開き直る力」「ネット興亡記」に学ぶサバイバル術 (1)

――「見つけた」というのは、営業代行をしていた顧客のビジネスモデルをそっくりそのままコピーしたものでした。

「24歳で起業して、あらゆる手を使ってでも成功に近づくことをやろうと思っていた。今ならあり得ないですけど、事業内容をそのまままねることもいとわずやっていました。もう考える余裕がないくらい必死でした」

――ただ、営業代行業で技術力のない当時のサイバーエージェントではコピーすることさえも難しかった。そこで提携を持ちかけたのが堀江貴文氏が起業したオン・ザ・エッヂ(後のライブドア)でした。人材や資金のリソースが限られるスタートアップにとって、どんなパートナーと手を組むかも、成功を左右するポイントになりますね。

「プロダクトで強みをつくる上で、自分に足りないものを堀江さんが持っていることを会った瞬間に感じました。プログラミングの技術やデザイン、怪しいカルチャーすらも(自分たちにないものだった)。大企業との交渉では(足元を見られて)明らかに不利でもあったので、彼らにとっても僕らが必要だろうと思ったのです。我々も足りないパーツを持っていました」

――両社が関係を深めることで成長への足がかりとなっていきます。

「ライバル関係というより提携関係。互いに上場するまでは当時のオン・ザ・エッヂが技術や制作を担って、我々に営業やマーケティングを委ねていた。組織のカルチャーが正反対なんです。上場できたのはお互いの会社が組んでいたおかげだと思います」

――「ホリエモン」になる前の堀江さんとどういうやり取りを交わしていましたか。

「堀江さんとはベースで波長が合うとは思っているのですが、タイプは真逆です。学校で同じクラスだったら友達にはなっていないと思う。最初に会ったときから宇宙の話をしていました」

「ネット業界のことでいうと、すぐ簡単に『できる』と言うんですよ。その最たる例は『ヤフーには今からでも追いつけるよ。ああいう検索エンジンを作ろう』と。電子商取引(EC)にしても、オークションにしても。『できます』『作れます』と2人で言い合いながらバンバンやっていった」

堀江さんは、ある意味臆病だった

――オン・ザ・エッヂ時代はボールペンを買うにも社長の承認を求めるような手堅い経営をしていた堀江氏が、上場後に変容したように思います。次々とM&A(合併・買収)を仕掛けて世間の注目を浴びました。

「堀江さんは僕と出会うまでは受託しかやっていなかった。お金にシビアで、ある意味で臆病な経営者だった。自社サービスで展開することがなかなかできず、我々と組んでリスクを分散しながら会社を大きくしていった。そのぐらい慎重な人でした」

「(2004年に)プロ野球に参入するため、近鉄球団買収に手を挙げて有名になっていった。そこまで実は1円も使っていない。参入はできなかったけど知名度は上がり、良い宣伝になった。そこからある意味、コツをつかんで世の中を騒がすことをやっていきました。フジテレビ買収のために大きな借り入れをして勝負を仕掛けたときから、堀江さんは人が変わったなと思いました」

「世間の評価も(ネット企業といえば)『楽天、ヤフー、ライブドア』と呼ばれるようになった。実態は自分たちとそう変わらないのに、すごいサービスだと過剰評価されていました。その時に、人は嫉妬するのだなと初めて感じました。若くして会社を大きくする時に、僕は過剰にメディアに取り上げられる側だった。やきもちを焼かれることは多かったが、その逆はなかった」

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