コラムニスト・えのきどいちろうさん 父の一喝に含蓄

1959年秋田県生まれ。中央大在学中の1980年に「宝島」でデビュー。以来50以上の新聞、雑誌にコラムやエッセー、連載記事を執筆。ラジオ番組への出演も多数。プロ野球日本ハムの大ファン。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はコラムニスト、えのきどいちろうさんだ。

――転校が多かったとか。

「父が野村証券の営業マンで秋田、群馬、北海道など色々な場所に住みました。途中から支店長になり、僕は小学校が3つ、中学校は2つ通ったので、同じ友達がいることが羨ましくて仕方なかった。それで高校は東京の大学付属校に入りました」

「転校を繰り返すことで、ケンカに負けないことと冗談を言うことが得意になりました。この2つができないと友達になめられますから。友達や先生など周りの人間を比較しながら観察するクセも付きました。取材も同じで、今の仕事に生きていますね」

――お父さんはどんな方でしたか。

「無口でとても変わった人でした。今で言う『オタク』の先駆的な人だったと思います。壁一面の本棚には『SFマガジン』が創刊号からずらりと並び、あらゆるSF小説もありました。正月でも友人や同僚が家に遊びに来ることは一度もない。酒も飲まず、1人で宇宙を思い、自分の世界に浸っていたのでしょう」

――お父さんとSFについて話したりしました?

「いいえ、まったく。めったに話さない父からきつく言われたのは『おいっ、一朗、絶対に読むなよ』の一言でした。でも『読むな』と言われれば読みたくなる。小中学生のころ、父に隠れて読みました。盗み読みで活字に親しむ習慣が身に付き僕の土台になったと思います」

――お父さんとはほとんど話もしなかったのですか。

「はい。ただ高校生のときに一度だけ強烈な一言を言われました。付属校で大学受験がなかったので僕は当時、架空のチームを作ってサイコロの目に沿って試合を展開する『サイコロ野球』という自分で考案したゲームにはまっていました。選手の名前も自分で決めて、一晩でリーグ戦を自分一人で運営します」

「夢中になって2カ月ぐらいのとき、突然、父が入ってきたんです。そして『俺にも覚えがあるからわかるけど、今やめないとやめられなくなるぞ』と。僕は固まりました。父は身長が180センチの上背で迫力があります。母に聞いたら『一朗が部屋に閉じこもって何かに夢中になっている』と父に言ったようです」

――自分の世界を抱える感覚はご自身にも生きている。

「そうですね。サイコロ野球の延長線上で、自分の好きなスポーツについて妄想しながら書く今の仕事をしているわけです。2016年に父が亡くなったとき、葬儀のあいさつで『本当にやめられなくなったよ』と父に語りかけました。父の世代の多くは『職業が人』で、社会が発展する物語に自分を重ねて生きていた。父は社会とは別に自分の世界に生き、楽しさや苦しさも知っていた。『やめられなくなるぞ』は、なかなか含蓄があるなと思います」


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