日経ナショナル ジオグラフィック社

アナトリア起源の遺伝子

カルペイアが生きた7500年前は、新石器時代後期に相当する。昔ながらの狩猟採集生活に取って代わり、農耕と牧畜がイベリア半島全域に広がっていった時代だ。乳糖不耐症だったことから、彼女の文化では、酪農が行われていなかったと考えられる。

カルペイアの死亡年齢を、頭蓋骨から正確に割り出すことはできない。だが、頭蓋縫合線という頭蓋骨の骨のつなぎ目から、25~40歳の成人だと示唆された。

研究者が最も興奮したのは、DNAから明らかになったカルペイアの出自だ。カルペイアのゲノムのうち、イベリア半島に由来するものはわずか10%、残りの90%はアナトリア(現在のトルコ)に起源を持っていたのだ。新石器時代のアナトリアの農耕民は、黒い瞳に明るい肌という遺伝子を持つ割合が高かった。対照的に、中央ヨーロッパから西ヨーロッパにかけての狩猟採集民は、暗い肌に明るい目を持つ。

農耕と牧畜の生活様式が芽生えた「新石器革命」は、世界のいくつかの地域でほぼ同時期に起きたと考えられている。アナトリアはそうした地域の一つだった。農耕と牧畜の技術はそこから西へゆっくりと広がり、地中海世界やヨーロッパに普及していった。

カルペイアのDNAにはアナトリア由来の比率が高いことから、アナトリアを出た彼女の祖先はさほど古い遠戚ではないことが示唆される。つまり、カルペイア自身か彼女の両親、または直近の祖先が、海を渡ってジブラルタルにやってきた可能性が高い。

空から見たジブラルタル。半島の先端にエウローパ岬の灯台が見える。1996年、近くの洞窟でカルペイアの頭蓋骨が発見された(JACEK SOPOTNICK/AGE FOTOSTOCK)

もし陸路だったとしたら、西方への進出には時間がかかっただろう。その途中で現地民とDNAが混ざり合い、カルペイアのゲノムはもっと多様なものになったはずだ。

また、地中海に浮かぶサルデーニャ島の人々の遺伝子から、アナトリアの遺伝子が高い割合で見つかっている。このことも、アナトリア人が陸路ではなく、地中海を渡って西に移動したという説を補強している。

彼らが農業技術と共に移動したかどうかは、まだ明らかになっていない。少なくとも、この時期にジブラルタルで農業活動が行われたことを示す考古学的な証拠はなく、カルペイアの一団は、狩猟や漁をしていた可能性が高い。

だがジブラルタルから約200キロ離れた場所では、カルペイアと同じ時代の小麦の種の残骸が見つかっている。彼女がジブラルタルで生きた時代は、人間の生活の大転換期だった。カルペイアやアナトリアの民が、農耕や牧畜の導入と普及に多大な役割を果たしたのだ。

次ページでは、この記事の筆者(マヌエル・ハエン氏)が手掛けた、ジブラルタルで生きた女性カルペイアの復元の様子をご覧いただこう。