有森裕子 高校・大学で結果出ず、そこから探した道
長く続いた外出自粛要請がようやく緩和され、日常生活が少しずつ戻ってきたのもつかの間、各地から梅雨入りの知らせが届きました。
例年なら、4月、5月の新緑の季節を気持ちよく走った後に迎える梅雨入りですが、今年は自由に走ることが難しい日々が続き、フラストレーションがたまっている方もいるかもしれません。お子さんの学校が始まったり、出勤を再開したり、引き続きテレワークをされたりと、取り巻く環境はさまざまだと思いますが、環境の変化に負けないように、規則正しい生活や適度な運動を心がけ、引き続き健康管理に気をつけましょう。また、気温が高く蒸し暑い日々が続きますので、こまめな水分補給も忘れないようにしてください。
各種大会中止、「かわいそう」「残念だ」で終わらせたくない
緊急事態宣言は解除されたものの、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、スポーツの世界では大小問わずさまざまな大会が中止となっています。例年8月に阪神甲子園球場で開催される全国高等学校野球選手権大会や、全国高等学校総合体育大会(高校総体;インターハイ)の中止も発表されました。甲子園中止の発表を聞いた高校球児たちが落胆し、涙を流すシーンがニュース番組などで流れ、胸を痛めた方も多かったのではないかと思います。
高校生活をスポーツにささげてきたのに、突然、活躍の舞台を奪われ、大きな目標を失ってしまった生徒さんや、努力する彼らをサポートし、見守ってきた指導者、親御さんの無念を思うと、いたたまれなくなります。当然ながら、3年生にとっては、高校生活で全国の舞台に挑戦できる最後のチャンス。大学への推薦入学など、進路を決める上での重要な機会でもあったでしょうから、これから先のことを考えると不安でいっぱいの生徒もいるかと思います。
ですが、夢に向かって懸命にがんばってきた彼ら・彼女らだからこそ、私は単に「かわいそう」という悲観的な見方だけで終わらせたくありません。
高校3年の冬、陸上引退を思いとどまらせた恩師の言葉
私自身の高校時代を振り返ってみると、私はインターハイで活躍できるようなエリート選手ではありませんでした。中学校の運動会の800m走で全校1位になったということだけを励みに、地元の陸上名門校の陸上部の門をたたきましたが、なかなか芽が出ないまま。与えられた練習メニューには全力で取り組みましたが、インターハイや国体(国民体育大会)への出場はかなわず、私の高校入学と同時に始まった、中距離・長距離選手にとっては大きなチャンスでもある全国都道府県対抗女子駅伝も、3年連続補欠で終わりました。
練習をがんばってもまったく結果に結びつかない日々が続き、さすがにもう潮時かなと、高校3年の冬に陸上をやめようと決意しました。そのことを高校の恩師に伝えると、先生は私にこう言ってくれたのです。
「また来年、がんばらないか」
この言葉にはとても驚きました。レギュラーになれない私のことも、先生はちゃんと見てくれていた。そしてこれからも見ていてくれるんだ、と思うと、先生の思いに応えたいという気持ちが自然と湧いてきたのです。「何年かかるか分からないし、何年かかってもいいから、都道府県女子駅伝の選手になれるまで走ろう」。そう決意した私は、大学進学後も陸上を続ける道を選びました。
その後、日本体育大学の陸上部に入部し、1年生で運良く都道府県女子駅伝を走ることができたのですが、その後は思うような成績は残せませんでした。全日本選手権(日本陸上競技選手権大会)やインターカレッジ(日本学生陸上競技対校選手権)で上位に入るような華々しい活躍もなく、実業団から誘われることもなく、それでも陸上を続けたかった私は、当時リクルートランニングクラブの監督だった故小出義雄さんに何度も手紙を送り、粘って粘って、なんとか入部させてもらうことができたのです。
最終的に、二度のオリンピックでメダルを獲得することができた自分自身の陸上人生を振り返ると、「あきらめないこと」「一生懸命取り組むこと」「扉は自分でたたくこと」を繰り返してきたように思います。高校でも大学でも満足のいく結果が出せなかったからこそ、次のチャンスを求め、あきらめずに進んでいけたのだとも思います。
生きていれば、チャンスはある
私にとって、高校時代も大学時代も、人生の通過点の一つに過ぎませんでした。ただ、その通過点で、高校の恩師や小出監督などの素晴らしい方々との出会いがあり、支えていただいたからこそ、五輪のメダルまでたどり着けたことは言うまでもありません。
学生時代は「今、目の前にある目標」がすべてですから、今回のさまざまな大会の中止で絶望を感じてしまう気持ちはよく分かります。誰のせいでもなく、どうすることもできず、ただあきらめるしかない…。そんな非情な現実を受け入れるのはつらいことだと思います。ただ「元気を出して」と言っても無理でしょう。
それでも、彼ら・彼女らには、時間はかかっても、また新たな一歩を踏み出してほしいと願っています。だって、私たちは生きているのですから。自らの未知なる可能性にもっとチャレンジしたい、という思いがあるのなら、私が経験してきたように、これから先にもチャンスはあります。この先競技を続ける人も、そうでない人も、チャレンジしたいという気持ちは死ぬまで消さないでほしい。甲子園やインターハイを目指してたゆまぬ努力を重ねてきた彼ら・彼女らだからこそ、どんな道に進んでもがんばれるでしょうし、応援し、サポートしてくれる人はたくさんいるはずです。
多くのサポートがあって試合ができる そのことを伝える機会に
夏の甲子園やインターハイに代わる、地域大会の実施を検討している都道府県もあるそうです。高校野球では、中止となった春の選抜高校野球大会に出場予定だった32校を招待し、甲子園球場で交流試合を開催することを決定しました。そうした代替大会も、多くの人の尽力と費用のサポートがあってこそ実現できるものです。もしこうした大会が開催されるなら、「自分たちが参加できる大会は、多くの人のサポートのもとで初めて開くことができる」ということが、しっかり学べるような機会になればいいなと思います。そして、指導者の方々には、高校3年生の私が恩師の言葉に救われたように、「君たちをずっと見ている」というメッセージを選手たちに伝えていただければうれしいです。
陸上界では先日、東京五輪男子マラソン代表の大迫傑選手や、短距離の桐生祥秀選手、ハードルの寺田明日香選手が、インターハイが中止になり、目標を失ってしまった高校陸上選手を支援する活動を始めるというニュースを見ました。こうした現役選手たちのサポート活動は、生徒たちの励みになるでしょう。今後の活動に注目したいと思います。
(まとめ:高島三幸=ライター)
[日経Gooday2020年6月16日付記事を再構成]
元マラソンランナー。1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。
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