聖心で学んだ献身が支えに 鋳物の老舗継いだ女性社長手塚加津子・昭和電気鋳鋼社長(上)

手塚加津子・昭和電気鋳鋼社長
手塚加津子・昭和電気鋳鋼社長

昭和電気鋳鋼(群馬県高崎市)は、鋼(はがね)を鋳物で成型し建設機械や鉄道などで使う大型の部品・部材を造っているメーカー。大型重機のシャベルのツメや、トレーラーの動力車と荷台をつなぐカプラーベースなどでは国内最大手という小さなトップ企業だ。現社長の手塚加津子氏は2007年、祖父と父が60年かけて拡大してきた重工業向けビジネスを3代目として継承した。会社を守ろうと後を継いだ背景には、中学・高校時代を過ごした聖心女子学院での体験があったという。

「ものづくり」とは全く縁のなかったカトリック系の女子校・女子大育ち。実業に就いた経験もまったくなかった身の上から、祖父と父が2代にわたって守り続けた“家業”の継承を決断した。

自宅は東京都大田区にあるのですが、初夏の足音が聞こえるころになるとたくさんの藤の花が咲く庭があって、父・天野和雄が自慢にしていました。もちろん、私を含めて家族が皆でさまざまな花が植えられた庭を大事にめでてきました。藤の花が咲くと、父と交流があった福田赳夫・元首相にいらしていただいたこともあるんですよ。

そんな父が2001年に亡くなってから、私の人生も大きく動きました。母と一緒に会社を支えてきた主力銀行を訪れて、「(銀行口座の)名義の書き換えを……」とお願いした時のことです。そこで初めて、利益が出ている会社でも負債があるのだということを知り、銀行からも「財産として正の相続をするなら、負の相続もしなければなりませんよ」と言われました。それがなくては、あの大好きな自宅にも住めなくなるとも言われ、まさに青天の霹靂(へきれき)でした。

父の闘病期間は長かったのですが、一度も会社の経営を継いでほしいといわれたことはありませんでした。子どもは私と妹の娘2人だけ。本人に聞いたわけではないので臆測でしかないのですが、おそらくは継がせようとは思っていなかったのではないか。父自身が、祖父で創業者だった天野定次郎から事業を受け継いだ後も、好不況の波をかぶって何度か辛酸もなめたこともあったでしょう。また、会社勤めをしたことのない娘に継がそうという発想がなかったと思います。

当時、私はすでに結婚して夫もいましたが、彼はアサヒビールの研究者として働いていたので、父も声をかけなかったのではないかな。自分の娘が大企業で働く夫と結婚している限りは安心だし生活も大丈夫だろうと、「安全弁」のように思っていたかもしれません。

今、実際に事業を承継して私自身が思うことですが、中小企業の経営について父は「本当に覚悟した者でないとできない」と考えていたのではないかと。「自ら手を挙げた者にやらせる」のが大切だという気持ちがあったと推察しています。

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