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加藤登紀子 アイドル歌手を辞めた理由は「知床旅情」

編集委員 小林明

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NIKKEI STYLE

東京大学在学中に歌手デビューしてから今年で55周年を迎えた加藤登紀子さん(76)。「赤い風船」「時代おくれの酒場」「百万本のバラ」などヒット曲は数多いが、中でも学生運動家で恋人だった藤本敏夫さんの拘留中に作った「ひとり寝の子守唄」、加藤さんがカバーしてミリオンセラーになった森繁久彌さん作詞・作曲の「知床旅情」の2曲には特別の思い出があるという。

昭和の芸能界を代表する森繁さん、全共闘リーダーだった藤本さん、民衆の歌を歌い続ける加藤さん――。3人の人生をつなぐ運命の不思議な巡り合わせについてインタビューで振り返ってもらった。今回は歌謡曲編、次回は映画編を掲載する。

初デートで「知床旅情」に衝撃、「自分の歌がない」と苦悩した1年間

――歌手デビューした後、藤本さんが歌った「知床旅情」に大きな衝撃を受けたそうですね。

「あれは1968年3月、藤本と初デートした日。渋谷の屋台で飲んでキスした後、私が住む代々木のマンションの屋上に上がって2人で夜空を見上げていたら、突然、藤本が『知床旅情』を朗々と歌って聴かせてくれたんです。その時、私は『知床旅情』という曲を初めて聴いたんだけど、心の底にジーンと響くような歌声で本当に素晴らしかった。藤本って歌がうまいのよ。レコーディングしておけばよかったと思うくらい……。実は京都に『リラ亭』という喫茶店があって、マスターが森繁さんの大ファンでレコードをかけていたんですって。当時、同志社大の学生で店の常連だった藤本が曲に感動し、よく口ずさむようになったらしい」

――具体的にどんな衝撃だったんですか。

「シンプルなのに体から湧き出てくるようないとしさや悲しさを感じたんです。私、すでにプロの歌手だったのに、あんなに気持ち良さそうに人に歌を聴かせた経験がなかった。シャンソンのようにゴージャスな歌じゃなくても、人の心を激しく揺さぶることができる。完全に打ちのめされました。当時の私はアイドル歌手みたいな扱いで活発に芸能活動していたけれど、誰かのために歌うような自分の歌を持っていなかった。これから何を歌うべきなのか? 以来、ずっと悩み続け、その1年後にオリジナル曲『ひとり寝の子守唄』が生まれるきっかけになるんです」

答えは「ひとり寝の子守唄」、恋人の手紙を眺めながら作った

――69年3月のことですね。当時の日本はベトナム反戦や70年安保闘争など学生運動の嵐が吹き荒れていました。

「『ひとり寝の子守唄』ができた日はすごい大雪に見舞われて、仕事がすべてキャンセル。スケジュールがポカリと空いてしまったんです。当時、全学連委員長だった恋人の藤本は68年11月に逮捕され、まだ勾留されたまま。シーンと静まり返った部屋に独りぼっちでいたら、もう寂しくて寂しくて……。恋なんてしなければよかったと思うくらいつらかった。『トイレの蓋を開けた時、顔を出すネズミ君が僕のたったひとりの友達だ』――。勾留中の彼から届いたこんな手紙を眺めながら、誰に頼まれたわけでもなく作ったのが『ひとり寝の子守唄』です」

「『ひとりで寝る時にゃよォー、ひざっ小僧が寒かろう』で始まる1番に続き、2番の歌詞もすぐにひらめきました。結局、1カ月ほどかけて曲全体を仕上げますが、完成した時には『これが自分のために初めて作った歌だ』とうれしかった。でも暗い内容の曲だし、世に出ることはないだろうと思っていたら、ライブなどで歌い続けているうちに評判がみるみる広がり、発売することが決定します。レコーディングは69年6月16日。くしくもこの日、藤本が8カ月ぶりに釈放されました」

3カ月ごとにシングル発売、嫌気が差していた歌謡曲

――69年9月15日に発売された「ひとり寝の子守唄」は大ヒット。日本レコード大賞歌唱賞に輝きます。

「当時、所属していたレコード会社は私をアイドル歌手としてブレークさせよう躍起になっていて、3カ月に1回のペースでシングル盤を出していました。でもヒットがなかなか生まれない。好きでもないポップスのカバーやムード歌謡ばかり歌わされて、私も気分がまったく乗っていなかった。自分が歌うべき歌はどこにあるのか? 『知床旅情』に衝撃を受けて以来、1年間悩み続け、ようやく見つけた答えが『ひとり寝の子守唄』でした。こうして私はアイドル歌手を卒業し、初めてシンガー・ソングライターになります」

――森繁久彌さんと出会ったのもこの頃ですね。

「はい。本当に不思議な巡り合わせですね。69年11月くらいかな。森繁さんらが始めた社会奉仕事業『あゆみの箱』のチャリティーショーが九州であり、私は『ひとり寝の子守唄』を歌ったんです。でも、それまで明るい雰囲気だった会場が急に静まり返ってしまい、私は少し意気消沈しながら舞台を降りました。そしたら舞台の袖で森繁さんが両手を広げて迎えてくれたんです」

「『あの歌声は君だったのか! とても感動したよ。楽屋で聴いていたが、誰が歌っているのかと思って急いで上がって来たんだ。君は、僕と同じ心で歌っているね。ツンドラの風の冷たさを知っている歌声だよ』と興奮気味にまくし立て、思いっ切り私の体を抱き締めてくれたんです。森繁さんとはその時が初対面。突然の出来事で驚いたけど、すごくうれしかった。今でも忘れられない思い出です」

森繁さんが「ひとり寝の子守唄」を絶賛、恋人が思いをつないでくれた

――森繁さんの「知床旅情」と加藤さんの「ひとり寝の子守唄」が、恋人の藤本さん(72年5月6日に加藤さんと獄中結婚)を通じてつながったわけですね。

「そうなんです。とんでもないキャスティングでしょう。『知床旅情』に藤本が感動し、その歌を聞いた私が衝撃を受け、1年後に『ひとり寝の子守唄』が生まれ、森繁さんがそれに共鳴してくれたんですから……。不思議な巡り合わせですよね。でもこれは決して偶然ではない。運命のような必然性を感じるんです」

「後で分かったんだけど、森繁さんも藤本も兵庫県西宮市鳴尾の同じ小学校出身。戦時中は加藤家も森繁さんも満州で暮らしていて、戦後の引き揚げの際、まったく同じ時期に同じ佐世保港に滞在しています。互いに気付かなかったけど、不思議な縁を感じて思わず鳥肌が立ちました」

「知床旅情」がミリオンセラーに、忘れていた森繁さんへのあいさつ

――「知床旅情」を加藤さんがカバーしたアルバムが大ヒット。71年に2度目の日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場します。

「当時、私、ちょっと息切れしていたんです。『ひとり寝の子守唄』以来、オリジナル曲にこだわり続け、ねじり鉢巻きでウンウンうなりながら作詞・作曲しようと苦しんでいた。でも母が笑いながらこう言ったんです。『あなたがいくら頑張ったって知れてるわ。世の中には素晴らしい歌がたくさんあるんだから、無理をせずにそれを歌ったらいいのよ』。それで気が楽になりました」

「とはいえ『知床旅情』は森繁さんの歌。他人のふんどしで相撲を取るのも嫌なので、A面を『西武門哀歌』とし、B面に『知床旅情』を入れたシングル盤を発売したんです。すると『知床旅情』の方が爆発的に売れて、予想外のミリオンセラーになってしまった」

――森繁さんもさぞかし喜んだでしょうね。

「ところがね……。私、ウッカリして、森繁さんにちゃんとあいさつもせずにシングル盤を出していたんです。ある日、新幹線の通路で森繁さんにばったり出くわして、『あ、ヤバイ。ちゃんとあいさつしてなかった』と気が付き、すぐに『あの、こんなの出したんですけど……』とシングル盤を渡しました。すると森繁さんは怒りもせずに受け取ってくれて、後から『君は歌はうまくないけど、心で歌える人だね』なんて森繁さん流に褒めていただきました」

歌詞に様々なバージョン、歌に込めた森繁さんの思い

「『知床旅情』は、森繁さんが主演した映画『地の涯に生きるもの』のロケ中に本人が原曲を作ったそうです。でも世の中で歌われている歌詞と森繁さんの歌詞には所々、食い違いがある。私は藤本が歌った曲をそらんじて歌っていたから、2番の『酔うほどに』を『飲むほどに』、『君を今宵(こよい)こそ』を『今宵こそ君を』、3番の最後の『白いカモメを』を『白いカモメよ』などと歌っていました。さらに地元の人からの要望で、3番の『知床の村にも』も『羅臼の村にも』と変えて歌っていた」

――ニュアンスが微妙に違いますね。

「なぜか歌手によって、様々なバージョンで歌われているようです。実際、カモメのところは『よ』の方が歌いやすいかなとも思うけど、森繁さんに聞くと、カモメは知床に残される人々のことを指しているので、『よ』でなく『を』で歌ってほしいと言われました。『羅臼』のところも、物語に即した歌詞なら『羅臼』の方が正確なんだけど、ロケ地が知床半島全域だったから、『政治的な配慮』で森繁さんが『知床』に変えたらしい。まあ、色々な事情があるようです。でもいまだに様々なバージョンで歌われているのは、この曲がいかに多くの人々に愛され、心に根付いてきたかを物語っているような気がします」

(聞き手は編集委員 小林明、次回は「居酒屋兆治」に夫婦役で共演した高倉健さんとの知られざる思い出など映画編を紹介します)

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