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ファンベースカンパニー レタスクラブ元編集長 松田紀子氏

ファンベースカンパニー レタスクラブ元編集長 松田紀子氏

comemo
次代を担う「旗手」は何を感じ、何を考えているのか――。日本経済新聞社が運営する投稿プラットフォーム「COMEMO」から、「キーオピニオンリーダー」が執筆したビジネスパーソンにも役立つ記事を紹介します。40代で出版畑からマーケティングの世界に転職した、ファンベースカンパニー(東京・港)の松田紀子さんに、40代からのキャリアチェンジについて語ってもらいます。

新型コロナウイルスの感染が広がったことで働き方や価値観がガラリと変わり、キャリアチェンジをすべきか否かを悩んでいらっしゃる方は多いのではないでしょうか。私のキャリアチェンジはコロナ禍以前の話ですが、「キャリアチェンジしなければ」という焦燥感から実際に動き出すまでの「転職モヤモヤ期」に取り組んでいたことは背景は違うものの、参考にしていただけるかもしれません。

仕事は順調、気持ちはモヤモヤ

社会人になった22歳のときからずっと、私は出版業界にいました。3社目の勤務となった「メディアファクトリー」という出版社で、まだ「コミックエッセイ」という言葉が根付いていなかった女性向けエッセーのジャンルでヒットを出そうと、先輩と必死に頑張っていた中で生まれたのが小栗左多里さんの「ダーリンは外国人」でした。この本のヒットをきっかけに、私の書籍編集者人生はスタートしました。

必死に作品を担当するうちに、出版界にコミックエッセーというジャンルが確立され、目標としていたコミックエッセイ編集長にも就任することができ、私は「編集は自分の天職」だと思っていました。そんな状況がしばらく続いた後、メディアファクトリーがKADOKAWAの傘下に入ることになり、「レタスクラブ」編集長も兼務することになりました。

当時、書籍編集者としての私はすでに頭打ちの状態になっていました。以前のように担当作品がすべて重版する、という奇跡は起こらなくなり、心の中にはモヤモヤとした気持ちが渦巻いていました。どこか世の中の感覚と合っていない、ズレを感じる……。

そんなときに舞い込んだ「レタスクラブ」編集長の話。雑誌編集長は初めての経験でしたので、できるかどうか悩みましたが、「『できるかできないか』ではなくて、『やるかやらないか』だ」と思い就任し、積極的に誌面改革に取り組みました。その結果、編集部メンバーの才能と努力が花開き、落ち込んでいた実売は前年の2.42倍まで伸ばすことができました。このレタスクラブのV字回復は大変ありがたく貴重な経験でしたが、編集長就任当時に自分に誓った、「編集長職は3年が限界、それまでに結果を出す」という決意のもと、全集中して編集部一丸となって取り組んだ結果だと思います。

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