俳人せきしろ 似た仲の又吉直樹と共著で3作目

どこまでも広がる妄想力で、静謐(せいひつ)ながら温かい筆致が魅力のせきしろ。その言葉のセンスを知らしめたのが、2009年の又吉直樹との共著『カキフライが無いなら来なかった』だ。自由律俳句とエッセーと写真で、往復書簡のごとく2人が紡いでいく作品集。そこから11年を経て、シリーズ3作目『蕎麦湯(そばゆ)が来ない』を刊行した。

せきしろ 1970年、北海道生まれ。高校卒業後に上京し、雑誌やラジオの投稿ぺージにネタを書いて送り、コラムなども執筆するように。お笑いネタ、舞台、ラジオの構成作家を経て、2006年に初の単著エッセー『去年ルノアールで』を出版。たとえる面白さを解説した『たとえる技術』(16年)や自伝的小説『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(17年)など。

「前の2冊を超えるものができたと思っています。過去に書いたものは恥ずかしくて見ないので比べたわけではないですけど……」と遠慮しながらも自信をのぞかせる。

自由律俳句とは、尾崎放哉や種田山頭火らから脈々と受け継がれる詩のスタイルの1つ。特に「僕が見たものをそのまま書いています。見ていないものは書いていない」というせきしろの句は、簡単な言葉の組み合わせで間口が広い。それでいて読者の想像を広げる深みもある。

「自由律俳句は短い動画のようなもの。詠んだ人が前後をイメージしてもらえるように書いています」。例えば、今作のタイトルでもある『蕎麦湯が来ない』なら、出てこない蕎麦湯に店員を呼ぼうか逡巡(しゅんじゅん)する人の一部始終が呼び起こされる。「第三者の視点というか、客観性は絶えず持っているつもりです」

「きれいな景色を見るのが好きで、毎日ぶらぶら散歩して、そのときに作っています。作ろうとして作ったことはなくて、俳句ができたら一旦スマホにメモしています」

少し浮世離れした生活を連想するが、そんな彼のリアルな舞台裏を知るように楽しめるのが、収録されているエッセーの数々だ。周囲のことを細かく気にして心を配り、敏感すぎる自分を客観視するユーモアがいちいちおかしい。

『蕎麦湯が来ない』 文学界の鬼才2人が、連載を続ける自由律俳句とエッセーに大量の書き下ろしを加えた作品集。周囲への配慮と自意識過剰さで生きづらそうな2人が、その目で繊細にとらえる世界は美しさと優しさとおかしみに満ちている。(マガジンハウス/税別1400円)

「人を楽しませたいし傷つけたくない。だから多方面に意識がいくし、周りのことを絶えず考えてしまいます。子どもの頃から、6歳下の弟に対してゲームでも何でもわざと負けて、喜ばせることをしてきました。それが今も続いているんでしょうか。とにかく、格好つけたい。自意識過剰な自分も分かっているけれど、僕にとって『自意識があることは格好悪いこと』。そんな自分を客観的に笑うしか逃げ場がないんですよね」

実の弟に抱いた兄貴肌の性分は、又吉に対しても抱いているという。シリーズ1作目は、せきしろの人生初の出版社への持ち込み営業で刊行への道が開けた。「後輩を通じて又吉君と知り合い、刺激を受けました。世間にまだその才能が知れ渡っていないときで年齢は弟よりも下。『この人をどうにかしたい!』という気持ちからでした」

はがき職人、構成作家を経て文筆家としての活動は20年以上。「死後に発見されるのかな」と冗談なのか本心なのか、依頼があってもなくても、言葉を紡ぎ続けている。

(日経エンタテインメント!6月号の記事を再構成 文/平山ゆりの 写真/鈴木芳果)

[日経MJ2020年6月12日付]

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