落語家・桂三輝さん 言葉の壁越える両親の愛情
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は落語家の桂三輝さんだ。
――カナダのトロント出身。子どものころはどんなご両親でしたか。
「父も母もスロベニア生まれです。明るくて赤ワインが大好き。毎晩一緒にディナーを食べて、楽しく語り合いました。父は車の修理の仕事をしていて、母は経理を手伝い、エンターテインメントとは違う世界で働いていましたが、ふたりとも、心は完全にエンターテイナーですね」
「家にゲストが来たとき、大人たちが飲んでいる間に、子どもたちは芝居を作るというミッションがあったんです。両親の友人の子どもと私と弟で、登場人物を考えて、台本を作って、大人たちを笑わせます。ただの遊びよりも時間がかかるので、その間に大人たちが楽しむ作戦。でも今考えると、芝居やパフォーマンス、コメディーに興味が生まれたのはこの経験からではないかと思っています」
――カナダでミュージカル劇作家として活動後、1999年に来日されました。
「古典ギリシャのミュージカルをやっていて、日本の能楽や歌舞伎に似ている点があると知り、半年ほど行ってみようという軽い気持ちです。『英語を教えながら文化を勉強したい』と言ったら、劇作家よりも安定すると思ったみたいで、いってらっしゃいと。両親は移民なので、他の国に行くことはいいことと分かってもいました」
――2008年に桂三枝(現・六代桂文枝)さんに弟子入りします。
「普通は弟子入りのときに師匠が両親に会うんです。偶然、師匠のトロント公演があり会わせることができました。両親も独演会に来て最前列に座り、私がトップバッターで10分くらい創作落語を英語でやりました。でも、その後は日本語。なのに最後まで見たんです。師匠は感動して、『おまえのために2時間以上の日本語聞かなあかんかったけど、すごい愛情感じた』と。うれしかったですね」
「両親にはトラディショナルコメディアンと説明していましたが、そのときまで、落語も、修業も、『なになに?』って疑問ばかりでした。それが、独演会でうちの両親もばか受け。周りの日本人のお客さんも死にそうになるくらい笑っていて『師匠、何言ってたかさっぱり分かんないけど、今までの人生でコメディー見て一番笑った。すごい人なんだから10年でも20年でも修業しなさい』と。一発で師匠のよさが分かったんです」
「しかも母は、『師匠についていろいろ教えてくれてるのに、なんであんなにハンサムな方だと教えてくれなかったの』って言っていました」
――今はニューヨークなどでも落語を披露しています。
「母は数年前に亡くなりましたが、父はNYの初日に来てくれました。すごく心配してくれて『お客さんちゃんと来ている?』って」
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