風雲児・猿田彦の原点回帰 「接客の15秒」磨き抜く
ブームの追い風をいっぱいに受けて疾走する、コーヒー業界の風雲児――。
猿田彦珈琲(東京・渋谷)を率いる大塚朝之さんには、そんなイメージがつきまとう。元俳優という異色の経歴。2011年に1号店(恵比寿本店)を開業したのは29歳の時だ。主力商品は生産履歴が明確で風味の豊かなスペシャルティコーヒー。3年後には大手缶コーヒーメーカーの商品監修を担う。スタイリッシュな店舗やベーカリー併設の新型店などを次々と首都圏に開き、台湾にも進出。日本で6年ほど続く第3次コーヒーブームの若き旗手として熱い視線を浴び続けた。
そこに突如ふりかかったコロナショック。今年3月には東京・原宿駅の新駅舎に「The Bridge原宿駅店」を開業し、ウイスキー樽に豆を寝かせて大人の香りをまとわせた「バレルエイジドコーヒー」が話題を呼んだばかり。同店を含む国内15店は一時休業や持ち帰り・物販のみの営業を余儀なくされた。
成長のビジョンが大きく狂ったのでは? そんな問いに、大塚さんはこんな言葉を返した。
「確かに資金など心配な面はあるけれど、実はホッとしたところもあるんです。これでいったん、立ち止まれる、と」
安堵は不安の裏返しだ。仲間が増え、周囲の期待も膨らみ、「成長は必須」と突っ走り続けてきた陰で、創業の理念や猿田彦本来の強みが揺らぎ始めている。そんな不安を抱えていたのだという。
「もともとウチは従業員の絆が強く、それが成長の要因でした。でもここ数年、皆の意識がまとまりに欠けていると感じた。小さな派閥ができたりして僕の言葉が通じにくくなった部分もあった。そこで昨年から体質改善に取り組み始めたんですが、コロナを機に従業員の再教育を集中的に行うことにしたんです」
猿田彦はコーヒーそのものの品質に加え、明るくフレンドリーな顧客対応に定評がある。初めての客にも、店の前を行く常連客にも、気さくに声をかけて会話する。そんな会社と店の空気感を一言で表現すれば「ホーム」あるいは「ファミリー」だろう。家族のような絆で結ばれた従業員が、家族同然のホスピタリティーを顧客に提供する。創業時に定めたコンセプト「たった一杯で幸せになるコーヒー屋」の本質がここにある。
コロナ後見据えホスピタリティーに磨き
その絆が揺らげば競争力も揺らぐ。だからコロナショックを奇貨として、原点回帰を図る全社規模の再教育に弾みをつけようと決断した。従業員の家族的な絆をいま一度強めて、対顧客のホスピタリティーの磨き上げに集中させる。シフト変更に伴うコスト増と赤字も覚悟のうえだ。これは自分たちの理念と強みを再確認するだけの取り組みではない。実はコロナ後への「実践的な備え」という側面でも大きな意味があると大塚さんは話す。
ここ数年来のコーヒーブームは、コロナ禍に遭い沈静化に向かうだろう。では、その後のコーヒー需要はどう変わるのか。そして猿田彦はどう対応するのか。大塚さんは二つの見方を示す。
一つは「家飲み」の拡大だ。実は猿田彦で喫茶を休止した店は、リモートワーカーや常連客を中心に豆や持ち帰りコーヒーが好調で、売り上げは落ちなかった。
「しばらく前に高級スーパーでも販売を始めたドリップバッグがすごい伸びました。こうした"工業製品"は、とんがったイメージの強い猿田彦の顧客の裾野を広げる効果も期待できます。焙煎豆も含めた卸売りはこれから強化していきます」
では、二つめに店舗はどうか。一転して大塚さんは弱気な言葉を漏らす。「店という『場』を持つ強みについては楽観できない」。それはリモートワーカーの購買行動や、コンビニコーヒー台頭による顧客流出を目の当たりにしての本音だ。消費者の外食コストの意識も高まるだろう。
「猿田彦のような価格帯(1杯400~500円台が中心)のコーヒー専門店が今後も通用するという自信はない。本来なら値下げしなきゃいけないのかもしれない」
「でも、今更お店はやめられないし、現状をキープしながらどこまでいけるのか、チャレンジしたい気持ちもある。店舗も年輪のように増やしていきたい。ならばどうやって店の強さを演出するのか。その方法論が"ファミリー作り"なんです」
まじめに高品質のコーヒーを提供する店、というブランドイメージは死守する。だが「おいしいだけでは1杯500円の価値はつくれない」と大塚さん。「そこに、他社にはない情緒的な価値が付加されないとダメでしょう」。その情緒的価値こそが、再教育で見つめ直す「ホスピタリティー」なのだという。
「店頭での接客を通じて、お客というファミリーをどんどん増やしていく。そこに行けばいい気分になれるぞ、何か出来事が起きるぞ、と期待させて、応援してもらえる店であればコロナ後も生き残れる」
最も問われるのは従業員のコミュニケーション能力だ。理想は、15秒程度の会話でお客の心を開く「即興芸ができる役者並みの能力」。コロナ自粛期間中の集中教育のカリキュラムには、コーヒーの技術の再確認などに加え、アドリブ能力を高めるような接客のトレーニングも盛り込んだ。「僕もアドリブ劇についてならアドバイスできる。俳優の経験がメチャクチャ生きる」と大塚さんは笑う。
高感度な店の展開や大手企業との協業など、業界内でも猿田彦はとりわけ目立つ存在だ。それがホスピタリティーという地道な修練をことさらに力説するのには理由がある。大塚さんには、ホスピタリティーの価値を人一倍、身をもって味わった原体験があるのだ。俳優としての大成を夢見て、もがき続けた青春時代のことだ。
15歳で芸能事務所に所属し、十代後半には何本かの映画などに出演した。だが20歳前後からオーディションでの落選が続き、仕事が行き詰まる。「何も起こらず、誰も僕の話を聞いてくれない無風状態」に陥った。
スタバに救われた青春時代 俳優あきらめコーヒーの道へ
「自分の存在価値すら疑い、ノイローゼ気味になって、人としゃべれなくなったんです。(東京都調布市の)実家近くにあるスターバックスコーヒー仙川駅前店に毎日のように通って、そこの店員さんと話すのが精神的なリハビリになりました」
店員は大塚さんのバックグラウンドを知るよしもない。雑談はたわいもないものだが、ホスピタリティーあふれる接客に当時の大塚さんは「本当に救われた」という。これが猿田彦の原点となった。
俳優業は25歳で見切りをつけ、友人の紹介でコーヒー専門店「南蛮屋」の店で働き始めた。ここでコーヒーの味わい深さを知り、サービスマンの資格を取得。紙カップでスペシャルティコーヒーを提供するノルウェーの人気カフェ「ヤヴァ」の存在を知ると、同じスタイルの店を出したいと幾度も企画書を提出した。だが提案は通らず、大塚さんは独立を決意する。11年6月の1号店開業は資金不足に悩まされたが、若者や周辺で働く人々が押し寄せた。
第3次コーヒーブームとされる「サードウェーブ」が日本で認知されたのは、本場米国より数年遅れの2013~14年ごろ。猿田彦の開業がこれに先立つことから、大塚さんは「サードウェーブの旗手」としてカリスマ視される。コカ・コーラグループは14年、缶コーヒー「ジョージア ヨーロピアン」のリニューアルに際し猿田彦に監修を依頼し、大塚さんもCMに出演した。疾走は、まさにこの年に始まった。翌15年2月に仙川で約200平方メートルの2号店を開業。立地は思い出深いスタバのすぐそばだ。17年には東京・調布市に旗艦店の調布焙煎(ばいせん)ホールがオープン。18年9月に進出した台湾には3店を展開している。
その勢いを象徴するのが19年3月の三菱商事による約5億円の出資だ。ブランドと成長力を見込んで海外展開にも協力する算段だった。だが、その矢先のコロナショック。三菱商事からのプレッシャーはないのか。
「まず三菱商事には、ブランドと雇用を守るため協力してほしい、と話しました。幸い、プレッシャーは全くなく、応援してくれています。アジア進出への期待はまだあります。僕たちも台湾で自信がつきました。あと数カ国で実験したいですね」
小休止したとはいえ、走ることをやめたわけではない。そして、日本であろうと海外であろうと、よって立つものは変わらない。
コーヒーブーム収束後、徐々に進むと見られた専門店の淘汰は、コロナショックで加速するかもしれない。そしてあらゆる業者が、コロナ後の生き残りの条件を思案する。価格と品質のバランス、地域への密着度、物販・卸売りの充実……。一つだけいえるのは、ホスピタリティーとは猿田彦だけにとっての原点ではないということだ。情緒的、定性的で測りにくいものではあるが、磨けば磨くほど集団の足腰は強くなる。原点回帰は、早ければ早いほどいい。
(名出晃)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。