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猿田彦珈琲の主力はスペシャルティコーヒーで、各種のブレンド豆にも売れ筋商品がある。コロナ禍にあってもコーヒー豆の売れ行きは好調だった

コロナ後見据えホスピタリティーに磨き

その絆が揺らげば競争力も揺らぐ。だからコロナショックを奇貨として、原点回帰を図る全社規模の再教育に弾みをつけようと決断した。従業員の家族的な絆をいま一度強めて、対顧客のホスピタリティーの磨き上げに集中させる。シフト変更に伴うコスト増と赤字も覚悟のうえだ。これは自分たちの理念と強みを再確認するだけの取り組みではない。実はコロナ後への「実践的な備え」という側面でも大きな意味があると大塚さんは話す。

ここ数年来のコーヒーブームは、コロナ禍に遭い沈静化に向かうだろう。では、その後のコーヒー需要はどう変わるのか。そして猿田彦はどう対応するのか。大塚さんは二つの見方を示す。

一つは「家飲み」の拡大だ。実は猿田彦で喫茶を休止した店は、リモートワーカーや常連客を中心に豆や持ち帰りコーヒーが好調で、売り上げは落ちなかった。

「しばらく前に高級スーパーでも販売を始めたドリップバッグがすごい伸びました。こうした“工業製品”は、とんがったイメージの強い猿田彦の顧客の裾野を広げる効果も期待できます。焙煎豆も含めた卸売りはこれから強化していきます」

「猿田彦」の店名は、ロゴマークをデザインしたイラストレーターのヒロ杉山さんの奥さんが提案。天孫降臨の神話に登場する神様の名前だ。看板は伊勢の猿田彦神社にある石柱と同じ八角形

では、二つめに店舗はどうか。一転して大塚さんは弱気な言葉を漏らす。「店という『場』を持つ強みについては楽観できない」。それはリモートワーカーの購買行動や、コンビニコーヒー台頭による顧客流出を目の当たりにしての本音だ。消費者の外食コストの意識も高まるだろう。

「猿田彦のような価格帯(1杯400~500円台が中心)のコーヒー専門店が今後も通用するという自信はない。本来なら値下げしなきゃいけないのかもしれない」

「でも、今更お店はやめられないし、現状をキープしながらどこまでいけるのか、チャレンジしたい気持ちもある。店舗も年輪のように増やしていきたい。ならばどうやって店の強さを演出するのか。その方法論が“ファミリー作り”なんです」

まじめに高品質のコーヒーを提供する店、というブランドイメージは死守する。だが「おいしいだけでは1杯500円の価値はつくれない」と大塚さん。「そこに、他社にはない情緒的な価値が付加されないとダメでしょう」。その情緒的価値こそが、再教育で見つめ直す「ホスピタリティー」なのだという。

「店頭での接客を通じて、お客というファミリーをどんどん増やしていく。そこに行けばいい気分になれるぞ、何か出来事が起きるぞ、と期待させて、応援してもらえる店であればコロナ後も生き残れる」

最も問われるのは従業員のコミュニケーション能力だ。理想は、15秒程度の会話でお客の心を開く「即興芸ができる役者並みの能力」。コロナ自粛期間中の集中教育のカリキュラムには、コーヒーの技術の再確認などに加え、アドリブ能力を高めるような接客のトレーニングも盛り込んだ。「僕もアドリブ劇についてならアドバイスできる。俳優の経験がメチャクチャ生きる」と大塚さんは笑う。

高感度な店の展開や大手企業との協業など、業界内でも猿田彦はとりわけ目立つ存在だ。それがホスピタリティーという地道な修練をことさらに力説するのには理由がある。大塚さんには、ホスピタリティーの価値を人一倍、身をもって味わった原体験があるのだ。俳優としての大成を夢見て、もがき続けた青春時代のことだ。

15歳で芸能事務所に所属し、十代後半には何本かの映画などに出演した。だが20歳前後からオーディションでの落選が続き、仕事が行き詰まる。「何も起こらず、誰も僕の話を聞いてくれない無風状態」に陥った。

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スタバに救われた青春時代 俳優あきらめコーヒーの道へ
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