2020/6/22

「研究室」に行ってみた。

さて、栄養素、食材、食事パターンについてそれぞれ見てきた。

すべてにおいて「すっきり解決!」というわけにはいかなかったと思うが、そういうすっきりしなさ加減も含めて味わっていくしかなさそうだというのがぼくが得た感触だ。

最後の最後に、こういった研究すべてに関わることとして、今村さんが最近、問題視していることに触れておこう。個別の研究というよりは、研究をめぐる風潮とでもいうべきことだ。

一言でいえば、「メタアナリシスについての懸念」だ。

「まず、メタアナリシスや系統的レビューは、既存のエビデンスをまとめているので高い価値があるとされていますが、栄養疫学の場合それでも良質とは限らないんです。そもそも方法が誤っているものもありますし、同じトピックについても複数のメタアナリシスがあって、それぞれ結論が食い違うということもあります。例えば、米国栄養学会誌の2014年7月号では、ナッツの摂取と糖尿病・循環器系疾患に関するメタアナリシスの論文が3つ同時に掲載され、それぞれ結果が異なっていました。さらにお米の話のように一つの疾患との関係だけが目立ってしまって、その結果を外挿して拡大解釈してしまう危険もあります」

第3回「専門家の『体にいい』は信用しない 栄養疫学の厳しさ」より。(監修:今村文昭)

それにしても、「そもそも方法が間違っている」論文が世に出ることがあるのだろうか。こうなると、ぼくたちは何を信じればいいのかさっぱりわからない。

「実は、私は、論文誌から頼まれる査読をできるだけするようにしています。勉強するいい機会なんですよ。世の中に出ていない情報にいち早く触れられるわけですし。それで、栄養疫学だけでなく、他の分野の疫学論文の査読も増えてきて、だいたい週に1本くらいは見ていると思います。その中で痛感するんですが、本当に論文の質はピンからキリまであります。それで、解析がずさんだったり、そもそも間違っているんじゃないかと指摘してリジェクトになった論文が、しばらくたって別の論文誌にそのまま掲載されていたりするんですよ」

これが、「方法が間違っているメタアナリシス」が世に送り出されてしまう仕組みの一端だ。リジェクトされた論文を、そのまま掲載してしまうような別の論文誌がある、というのである。

念のために注釈すると、査読とは、本来、論文の質を保証するためのものだ。今の科学は研究者同士の相互評価で成り立っている部分が大きい。各論文誌は、論文の投稿を受けると、その分野に詳しく、また著者と直接の利害関係がない別の研究者に内容のチェックを依頼する。査読を依頼された研究者はボランティアで論文を読み、問題がある部分を指摘したり、改善の方法を示唆したりする。今村さんは、かなりたくさん査読を引き受けてきており、四大医学誌のひとつであるブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)のベストレビュワー賞(2015年)など、個々の論文誌が選ぶ「査読賞」のようなものをいくつも受けてきた。栄養疫学だけではなく他の疫学分野での査読も多く、それはおそらく疫学理論や方法論に強いとの定評があるからだろう。

そんな今村さんが、「間違った論文がそのまま掲載される」と嘆いている。

これは本当にいかんともしがたい。

非専門家でもある程度勉強することで「自称専門家」のもっともらしい話の真偽を嗅ぎ分けることはできるかもしれないが、論文誌に掲載される論文の良し悪しを判断しろというのはさすがに酷だ。

「ですので、メタアナリシスだからエビデンスレベルが高いという話はもう古くて、メタアナリシスもツールの一つでしかないと考えるのが適切です。以前からその誤解は指摘されていましたが、栄養学の世界でもメタアナリシスが氾濫するようになってようやく認知されてきたという感じです」