学術誌の論文もピンキリ 栄養疫学の知見、どう生かすケンブリッジ大学 医学部上級研究員 今村文昭(最終回)

2020/6/22

「研究室」に行ってみた。

ナショナルジオグラフィック日本版

うしろに見える幾何学的な形の橋は、ケンブリッジ名物の「数学橋」。
文筆家・川端裕人氏がナショナル ジオグラフィック日本版サイトで連載中の「『研究室』に行ってみた。」は、知の最先端をゆく人物の知見にふれる人気コラムです。今回転載するシリーズのテーマは、食べ物の効果や影響を考え、その要因や対策を追究する「栄養疫学」。同じ「よくわからない」という結論でも、その根拠の深さに大きな差があること、そして情報をうのみにする怖さを教えてくれます。未知のウイルスに向き合うときのヒントにもなるかもしれません。研究者の濁りのない目がみつめる先にも注目です。

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「日本食」についてもう少しだけ考えよう。

現時点では、「日本由来の研究で強いエビデンス」がないのであまりはっきりしたことは言えないという結論だが、それでもほかの情報などと総合して、なんとか言いうることというのははたしてあるのだろうか。

栄養疫学者の今村文昭さん。強いエビデンスがないなか、あえて日本食について聞いてみた。

今村さんは、ちょっと沈思黙考してからこう切り出した。

「……そうですね。 たとえば日本でも蕎麦やうどんの文化の分布があるように、地域によって食文化にはバラつきがありますから特定の指針というのは中々難しいです。そういう前提で、よく私が考えるのは、穀物もバラエティに富んだものを腹八分で楽しむのがいいということでしょうか。たとえば稗や粟などは質素な食事という印象があるように思いますけれど、そういったものが『スーパーフード』などと言われていて今や世界中の健康志向の人にとって外せない食材になったりしていますよね」

稗や粟などは、時代小説・歴史小説の類を読むと、「貧者の食材」として描かれていることが多い。一方で、白米を食べられるのは裕福な階層だ。これは、戦中戦後の貧しい時代にもいえることで、昭和一桁世代だったぼくの父は、稗や粟のような雑穀をまぜたご飯は昔を思い出すので嫌だと言っていた。それが今や「スーパーフード」だというのだから、時代は変わったものだ。

「日本でも食が豊かではない時代には、足りない栄養素はあったとは思いますけど、魚などに加えて雑穀や野菜など食べていて、結果的に食事の質は悪くなかったのではないかと思っています。ということで、長寿社会を作ってくれたご先祖様たちが食べていたであろう穀物や豆類、根菜などについて、健康への価値を地域ごとに見直しつつ上手に取り入れて日ごろから楽しむのがよいのではないでしょうか。理想をいえばまずは各地域の栄養士さんなどが音頭をとってくださるのが好ましいと思います」

地域性を尊重してか、農林水産省は地域ごとの「食事バランスガイド」を紹介している。これは八丈島版の例。(出典:関東農政局Webサイト http://www.maff.go.jp/kanto/syo_an/seikatsu/shokuiku/balance/pdf/25-3-koushin-bg-hachijyoujima.pdfのPDFファイルを画像化して掲載)

結局、栄養疫学の知見は、背景にある栄養学的なコモンセンス(常識)などをフル動員して、さらには地域ごとの社会文化的な背景まで考慮し、常に多角的に読み取るべきということだろう。アマチュアでもがんばって論文を読めば、書いてあることは理解できるかもしれないが、その背景にある不確実性や含意まではさすがに難しい。また海外で栄養疫学に出会い研究者になった今村さん自身も、日本の地域ごとの事情に通じているわけではないと自認して、「各地域の栄養士さんなどが音頭をとってくださるのが好ましい」と述べているようだ。栄養士は、栄養疫学のエビデンスを、各地域や各個人の事情に通暁した上で、現実的な助言に落とし込む専門知識の翻案者、実践者として期待されている。