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尾堂真一・日本特殊陶業会長

尾堂真一・日本特殊陶業会長

自動車のエンジン向け点火プラグで世界トップシェアとして知られる日本特殊陶業。尾堂真一会長は本社のある愛知県と離れた鹿児島の出身で、地元の名門校・鹿児島大学教育学部付属小学校、中学校(いずれも鹿児島市)で学んだ。会社では長く海外畑を歩んだが、その原点となったのは付属中時代の出会いだった。

中学校で出会った2人の先生のことが今も強い印象として残る。

鹿児島大学付属で過ごした9年間という長い年月の中で最も記憶に残っているのが中学時代です。中学受験をへて入ってきた新しい友人も増えましたが、とりわけ記憶に残っているのが、多くの個性的な先生との縁です。

私は小学校から野球を続けていましたが、中学校で念願の野球部に入ることができました。そこで出会ったのが野球部の顧問、本田先生です。毎日、夜遅くまで練習させる厳しい先生でした。しかし、中学3年生の秋の大会間近、私がひじの骨を折るけがを負ったときに、レギュラーを下ろさずに待ってくれたんです。信頼されているのだと感じ本当にうれしかった。無事、大会までに完治させることができて、私は試合に臨みました。決して強いチームではありませんでしたが、そのときは3回戦に進みました。

7回に先制点を取り、そのまま勝てるのではと思いました。投手は今でも交流がある旧友の西前君。しかし、結果はサヨナラ負けでした。全員で泣いたことを今でも覚えています。

もう1人の恩人が中学の時の英語の教師、田原先生です。私は勉強があまり好きではありませんでしたが、英語だけは別でした。田原先生のおかげだと思います。付属中学校では通常の英語教育だけでなく、発音を重視した実践的な英語の授業がありました。田原先生も同校の他の先生と同じく若く非常に熱意がある先生でした。英語の歌をみんなで歌ったことを覚えています。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のエーデルワイスとかね。これまでにない新しい授業を模索される方でした。

英語は学力別に2つのクラスがありました。上のクラスに行きたくて必死に勉強しましたね。先生の影響もあり、中学に入って以降ラジオなどを通して毎日勉強していました。私は会社人生のうち計16年を海外で過ごしました。そのときにこの経験が助けになりました。海外で仕事をしたいと思ったのもこの頃だったと記憶しています。

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