高橋・三菱一号館美術館館長 フランスで自立心育む
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は三菱一号館美術館館長の高橋明也さんだ。
――小学校6年から1年間、フランスで過ごされた。
「東京オリンピックの翌年(1965年)、早稲田大学で教えていた父(高橋彦明)が交換教授でパリ大学に行くことになり、母と私も同行しました。空路を使ってもよかったのですが、横浜からマルセイユまでの定期航路を利用して片道40日、往復80日の旅をしました」
「父はフランス文学の研究者で、島崎藤村や藤田嗣治ら多くの文化人が利用した定期航路をたどりたかったようです。仏領インドシナに関心があったし、詩人・ランボーを研究していたので、彼が武器商人として活動したアデンやジブチといった紅海周辺の都市も見たかったのでしょう」
「船では、画学生、料理シェフ、京都大学のヒマラヤ登山隊、さらには戦火のベトナムから避難する人々など、様々な方たちと交流しました。社交的な母がそうした場を作りました。船の中で『アラビアのロレンス』が上映され、デッキに出るとその舞台となったアラビア半島の砂漠が眼前に広がっていて感激したことを思い出します」
――フランスではどんな暮らしをしたのですか。
「当時は日本人学校がなく、かといって入学時期の関係で現地校には入れず、母とともに外国人向けのフランス語学校に通いました。語学校には最初、子供は入れないと言われたのですが、交渉しているうちに興味を持たれ、特別に入学を許されました」
「自由な時間には、一人で美術館やお寺巡りをしました。ルーヴル美術館には無料の開放日があり、毎週、過ごしました。日本人留学生会館の図書室で美術全集を見て、ルーヴルで実作品を眺めました。大学で学ぶくらいの知識はこのときに得た気がします。学校に行けなくても、工夫次第でそれ以上の勉強ができると思いましたね」
――早くから自立していたのですね。
「帰国後、父に言われて一人で地元の公立中学校を訪ねました。詩人の桜井勝美さんが校長で、日本の小学校を卒業していないにもかかわらず、パリ滞在の話をしたらとても関心をもってくれ、中途入学できました(笑)」
「将来の進路など何でも自分で決めました。両親は私が決めたことにコメントしても、決して否定はしなかった」
――ご両親はすでに亡くなられた。
「7年前に父が88歳で、5年前に母が93歳で逝きました。二人とも80歳代前半までは元気で、しょっちゅう二人で欧州旅行などをしていました。三菱一号館の展覧会にも何度か現われ、喜んで見てくれたのはよい思い出です」
「二人が欧州に旅行しているとき、私の滞在が重なると、一緒に食事をしました。かつての船旅のころのような楽しい時間でした」
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