日経ナショナル ジオグラフィック社

中国の公共交通機関に配備されているような顔認識センサーは体温測定も可能で、発熱者を見つけた場合、バスの乗車や地下鉄駅への入場を拒否できる。抗体検査の精度が上がり、手軽に受けられるようになれば、乗車前に免疫証明書の提示を求めることもできる。ただし、オーストラリア、シドニー大学の交通工学者デイビッド・レビンソン氏は、安全と煩わしさは紙一重だと指摘する。

「こうしたプライバシーの侵害は人々を幸せにするものではありません。公共交通機関以外の移動手段を選ぶ人が増えるでしょう」とレビンソン氏は話す。「人々は代替手段を探すはずです」

自転車の復権

注目される代替手段が自転車だ。パンデミックに揺れる中、ドイツのベルリンからコロンビアのボゴタまで、多くの都市に自転車レーンが新設されている。米カリフォルニア州オークランドでは最近、約120キロの道路が閉鎖され、自転車と歩行者のみが間隔を開けて利用できるようになった。ワシントン州シアトルやイタリアのミラノも車での通勤を今後も抑制しようとしている。

こうした自転車レーンが永続的な好循環を生み出すと、専門家は予測している。自転車に乗る人の数が需要を押し上げるためだ。例えば、シアトルでは、中心街を通過する高速道路を全面的に見直した際、一時的に車道をバス専用レーンに変更し、結局、そのまま維持された。フランスのパリでは、地下鉄網の再設計が予定されているが、全長約650キロの自転車専用道路を整備した方が費用を2%まで抑えられる。

「職場の近くに住んでいる人なら利用しやすいですが、自転車が誰にとっても現実的な移動手段になるわけではありません」(ウォーカー氏)という指摘もあるが、電動自転車は成長産業であるだけに、自転車での遠距離通勤も不可能でない日も来るのではないかとフランク氏は述べる。例えば、公共交通機関と自転車シェアリングの料金体系が統合されて、自転車→電車→自転車と簡単に乗り換えることができれば理想的だ。事実、電動自転車のシェアプログラムが提供されている都市は多く、今後の動向が注目される。

ずっと自宅で働くことになる?

人によっては「通勤の未来」は、通勤しないことかもしれない。ブルッキングス研究所が20年4月に発表した報告書によれば、米国では新型コロナで外出が禁止される中、仕事を持つ成人の約半数が自宅で働いていたという。実に2年前の倍を超える数字だ。ブルッキングス研究所の最高財務責任者(CFO)への調査では、20%近くのCFOが、今後は従業員の20%以上を在宅勤務にする計画だと回答している。

こうした社会的変化は「公共交通機関の混雑と、病気の拡大の抑制をあと押しするだろう」とレビンソン氏は話す。特に出勤を極限まで減らし、可能なときは自転車を利用して、罹患時は在宅勤務できるようになれば効果的だ。

ただ、たとえ働き方がそこまで変わっても、「強固な公共交通システムの維持は必要で、それこそが活気ある都市の重要な要素です」とファン氏は断言する。バス、列車などの公共交通機関は、人種や収入の枠を超えて人々を結び付ける。そして、人々が交じり合うことで共感が形成される。確かに、個々に車で移動していては、決して得られないものだ。

「公共交通機関は、人々が都市生活を味わう場所です」とファン氏。「人々が違いを認め合う場でもあるのです」

(文 EMILY SOHN、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年5月24日付の記事を再構成]