2020/6/8

「研究室」に行ってみた。

食事パターンの研究というのは、昨今流行りの地中海食だとか、低炭水化物食だとか、日本食といった、誰もが知りたい研究と密接にかかわっているので、これらについては次回以降紹介する予定だ。

さて、栄養疫学の世界で、かなり理論・方法を突き詰めた上で、堅実な研究を続けてきた今村さんは、今後どういった方向を目指すのだろう。

「栄養疫学の枠を超えたいと思っています。ひとつは、運動疫学と栄養疫学を組み合わせた研究です。実を言うと、私がポスドクで在籍していたハーバード大学の栄養疫学に比べ、このユニットの栄養疫学のチームはまだ新しく、強みはむしろ運動疫学なんです」

前にも紹介したフェンランド研究というイギリス国内のコホートは、参加者の運動状況を測定できるセンサーを使えるようになった2000年代から始まっている。自己申告ではない客観的なデータを取得できるようになってすぐにコホート研究が始まったため、運動疫学研究の中で新たな地平を切り開く立場にある。

「運動することは、あらゆる疾患に予防因子として働くと言われています。フェンランド研究では、アクセルロミター、つまり加速度センサーをベチッと体につけて生活してもらって、体重1キロあたりの動きを3次元で取った1万2000人分のデータがあります。それを含めて、運動疫学の研究がかなり集まってきていますので、うまくその利点を生かしたいですね。それと私が今、関心を持っているのは、怪我や痛みについてです。運動する中での怪我のリスクなどは無視できないですし、痛みがあると運動したくてもできません。関節などに痛みが出やすい肥満した人たちにどう運動を推奨していくかというのも、これからの課題ですので」

さらに、話をしていると、意外な言葉が飛び出した。

「実は、犯罪疫学や紛争地の疫学にも興味があるんです」

これはどういうことだろう。

犯罪疫学とは書いて字のごとく、病気を予防するのではなく、犯罪の発生を抑えることを目的とした疫学分野だ。犯罪が起きる社会的な因子を発見し、可能な対策を見出す。たとえば「銃と酒が犯罪の発生を引き上げる因子になっている」「銃と酒を法的に制御すると犯罪が減る」といったエビデンスを客観的に出し政策提言をするといったところだろう。

今村さんが学生時代に調査を経験したバングラデシュやグアテマラは、ごく最近、不安定な時期をすごしたばかりの国々だ。健康問題の前に、社会が安定しなければならないことを実感したという。このときの体験は、今村さんが「ボストンの叡智」を吸収したいと願った原点だ。

「結局、栄養の知見が蓄積しても、世の中の治安がよくなかったら、意味がないじゃないですか。私は以前、世界の187カ国の食の質を見る研究をして、国際保健学の論文誌に出したことがあるんですが、コンゴとか紛争がある地域は、食の質がよくないんですよね(※2)。これもまた当たり前なんですけど、それを実際にエビデンスとして出しました。そういう社会的な因子が強烈にあると、栄養学や栄養疫学がどんなに充実してもあんまり意味がないんです。人は幸せにならない。私たちの研究って、そういう社会的な基盤が安定した上で成り立っている話であることがほとんどなので、もっと視野を広く持っていたいなと考えています」

大いに納得し、また共感した。

ぼくたちは、様々な健康情報を追いかけてああだこうだと言っているけれど、それは、基本的な日々の生活がまわっているからだ。これまでの人類史上、おそらくは一番長い寿命を享受しつつ、さらに長く生きたり、健康寿命を延ばそうとしている。もしも、日々の活動をまかなうエネルギーにも事欠くようなら、目の前にある食べ物を食べるしかない。でないと死んでしまう。そして、実際に、平均寿命が50歳以下の国は今もざらにある。食べ物の良し悪しを吟味する前に、別の理由で多くの人が世を去っていく。

さらに言えば、もっと決定的な形で人の生命を損なうことが日常になっている社会もある。

「戦争が起こったところで、死亡者数をどうカウントするかっていうのも疫学者の活躍の場なんですよ。あるいは埋葬するというアクティビティと感染病の疫学とか。自分の知識を役立てることができるなら、そういう疫学とかもかかわってみたいなというのはありますね」

その話をする時の今村さんが、まさに遠くを見据える濁りのない目をしていたのが印象的だった。

(※2)Imamura F, Micha R, Khatibzadeh S, et al. Dietary quality among men and women in 187 countries in 1990 and 2010: a systematic assessment. Lancet Glob Heal. 2015;3(3):e132-e142.
https://doi.org/10.1016/S2214-109X(14)70381-X

=文・写真 川端裕人

(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2018年10~11月に公開された記事を転載)

今村文昭(いまむら ふみあき
1979年、東京生まれ。英国ケンブリッジ大学医学部MRC疫学ユニット上級研究員。Ph.D(栄養疫学)。2002年、上智大理工学部を卒業後、米コロンビア大学修士課程(栄養学)、米タフツ大学博士課程(栄養疫学)、米ハーバード大学での博士研究員を経て、2013年より現職。学術誌「Journal of Nutrition」「Journal of Academy of Nutrition and Dietetics」編集委員を務め、「Annals of Internal Medicine(2010~17年)」「British Medical Journal(2015年)」のベストレビューワーに選出された。2016年にケンブリッジ大学学長賞を受賞。共著書に『MPH留学へのパスポート』(はる書房)がある。また、週刊医学界新聞に「栄養疫学者の視点から」を連載した(2017年4月~2018年9月)。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、「マイクロプラスチック汚染」「雲の科学」「サメの生態」などの研究室訪問を加筆修正した『科学の最前線を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。