母が作る独特のそばがき、極上のおやつ 坂井宏行さん
食の履歴書
「料理の鉄人」で知られるフレンチシェフの坂井宏行さん(78)。極貧のなか「女手一つで私たちを育ててくれたおふくろを喜ばせたい」一心で、料理の世界に入った。今も忘れられない味が、ひもじさを満たした母のそばがきだ。
子どもの頃、来る日も来る日も食べたのが郷里・鹿児島県の特産物、サツマイモ。終戦直後、白いコメが食卓に並ぶことはめったになく、アワやヒエと一緒に食べて空腹をしのいだ。「学校の弁当は農家の同級生が白いごはん、こっちは新聞紙に包んだサツマイモ。見られるのが恥ずかしくてね。そのとき一生分食べたから、今も苦手なんだよ」
戦時中、会社員の父が赴任した朝鮮半島で生まれた。敗戦で母は3人の子どもを連れて郷里の出水市へ引き揚げたが、残った父は戦死。伯父の家の離れ、6畳1間のあずまやに一家で身を寄せた。
生活は貧しかった。母は和裁で生計を立てたが、仕事がない時は日雇いの土木作業をこなした。食事の支度をする暇もないほど、朝早くから夜遅くまで働きづめ。その後ろ姿を見て「おふくろを助けなければ」と子ども心に誓った。中学生になると多忙な母や高校生の姉、弟のために台所に立った。
貨客船のコックさんにあこがれ
もともと手先は器用だった。「おいしそうに食べるおふくろの笑顔がうれしくて、料理が好きになった」。それがこの世界に入る原点だ。コックへのあこがれも強かった。近くの米ノ津港に寄港する貨客船で見かけた白いコートと帽子姿が格好良い。「料理人になれば食いっぱぐれはない。おなかを満たすためになったと言ってもいい」
そんな少年の頃、空腹をいっとき忘れさせたのが、母が作るそばがきだ。臼にそば粉と湯、人工甘味料を入れてかき混ぜる。そこからが独特だった。食材がたっぷりあったわけではないなか、台所にあるネギやかつお節を放り込む。刻んだネギの風味やかつお節のアミノ酸のうまみが凝縮している。「ネギのシャキシャキ感とトロトロしたそばがきの食感が絶妙に合った」
与えられた食材で腕を競うテレビ番組「料理の鉄人」で最高勝率を誇ったのは、あり合わせの材料を上手に使いうまさを引き出した母の血を受け継いだからに違いない。
学校から帰った兄弟で争うようにむさぼり食った。甘さに飢えていた子どもにとっては極上のおやつ。そばの季節のたまのごちそうだが、その日が待ち遠しかった。今もそばがきは大好きで、そば店に行くと必ず頼む。
母の「腕に職を持て」
父親がいない分、母のしつけは厳しかった。口癖は「貧乏でも気持ちまで貧しくなるな」と「腕に職を持て」。得意技を身につければ、どこへ行っても生きていけるという教えだ。地元の高校に進学したものの、家計が苦しいことはわかっていたので、中退し料理の世界へ飛び込んだ。
最初は大阪の仕出し店に就職。調理師養成学校の夜学に通い料理の基礎を学んだ。その後、初めてレストランで料理を任された時、真っ先に浮かんだのが母の顔だ。就職で大阪へ向かう自分を見送るため、駅のホームで列車が見えなくなるまで何度も何度も手を振る姿を。
「やっとここまでこられた」。料理人として認められたその夜はうれしくて眠れなかった。それから、オーストラリアや東京などの料理店で修業を積み、38歳で念願だった自分の店、「ラ・ロシェル」を東京・南青山に開いた。
これまで2度のピンチに見舞われた。最初は独立前、金谷ホテルの創業者の孫で人生の師と仰ぐ金谷鮮治さんにフランス料理店を任された時のこと。客単価が3万円の超高級店。味は一流だが、いかんせん値段が高すぎた。閑古鳥が鳴く日々。やることがないので店でスタッフと将棋を指して過ごした。「シェフとして、客が入らないほどつらいことはなかった」
2度目はラ・ロシェルを渋谷の高層ビルに移転拡張した時だ。思い切って店の規模を10倍に広げたが、これが完全に裏目に。2年後にバブル経済がはじけ、客足がパタッと止まって資金繰りに窮した。真っ白な予約表を見て、自分の頭も真っ白に。「本当に店が入るビルから飛び降りようかと思った」
そして今、3度目のピンチを迎えている。新型コロナウイルスだ。経営する4店舗が営業自粛に追い込まれた。ただ、考え込んでも仕方がない。「気持ちまで貧しくなるな」。母の教えを胸に刻み、今度もこの苦境を乗り切るつもりだ。
家庭的な上海料理
帰宅途中にたまに立ち寄るのが東急世田谷線の世田谷駅近くにある「上海家庭料理 大吉」(電話03・5450・4557)。多いときは週2回行くこともある。「何を食べてもハズレはない」と絶大な信頼を寄せる。よく頼むのが万能ネギと里芋の塩味炒め(980円)や、焼き餃子(ギョーザ)(580円)。「里芋は素朴な味付けで体に優しい」(坂井さん)
上海料理は他の中華料理に比べて薄味で、魚介類や野菜をたっぷり入れるのが特徴。上海出身の店主、兪月娥さんによると、子どもの頃に食べた母の料理を思い出しながら、少しずつメニューを増やしてきた。特に野菜にはこだわりが強く、花ニラなど日本にないものは台湾から取り寄せる。家庭的でくつろげる雰囲気は、仕事で疲れた体をいやす存在だ。
【最後の晩餐】 だご汁かな。味噌仕立ての汁に小麦粉をこねた団子やシイタケ、ネギなどを入れたやつ。子どもの頃、手っ取り早く空腹を満たすために、よく作りました。味噌は自家製でね。あの頃、死ぬほど食べたのに、不思議に今でも無性に食べたくなり、たまに家で作るんですよ。
(高橋敬治)
[NIKKEIプラス1 2020年5月30日付]
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