酒米は磨かず 「扁平精米」が産み出す大吟醸の味わい
日本酒のブームが続いている。けん引役は、純米酒(コメと米こうじ、水だけから造った酒)や吟醸酒と呼ばれる高精白のコメを用いたすっきり雑味のない上級酒だ。そうした中、新しい日本酒選びのキーワードとなりそうなのが、醸造に用いられるコメの形。従来は難しいとされた理想的な形に精米する精米機が登場したのだ。
一般に酒造りに用いられるコメは「球形精米」という方法で精米される。出っ張った部分が砥石に当たり取れていくため、磨けば磨くほどコメが丸くなる精米法だ。しかし、酒の雑味の原因となるタンパク質は、実はコメの長軸の両側に多くついている。そこで、この部分を効率的に除去できる精米法の「扁平(へんぺい)精米」が理想であると言われてきた。扁平に精米したコメを用いれば、精米歩合(数字が低い方が高精白となる)が高くても、よりすっきりした味わいになるというわけだ。
しかし、扁平精米のためには、砥石を低速で回しコメが砕けないようにするなど、長い時間をかけ精米をする必要があり、高度な技術と手間がかかる。そのため、この精米法を用いる蔵はほとんどなかった。ところが、2018年に精米機大手のサタケ(広島県東広島市)が、新しく扁平精米機を発売。これで精米すれば、精米歩合が60パーセントのコメでも、タンパク質の量が従来の40パーセントと同等になるという。つまり、扁平精米のコメを使えば吟醸酒(精米歩合60パーセント以下)でも格上の大吟醸酒(同50パーセント以下)と同等の味わいになるというわけだ。
これをいち早く導入したのが、秋田の酒蔵・新政酒造だ。そして今年から、低価格商品で扁平精米のコメを用いる形に変更した。これにより、定番ラインアップ11種のうち、8つもの酒に使われるコメが切り替わった。
扁平精米がコメのタンパク質を効率的に除去した「理想の形」とはいっても、これまでと磨き方が違うコメを使えば酒造りは大きく変わる。大胆な導入は、数々の革新に取り組んできた新政ならではの決断だろう。同蔵は、社長の佐藤祐輔さんのもとで使用酵母を蔵ゆかりの6号系酵母に統一し、すべての酒を地元の秋田県産米を使った生もと造りの純米酒としてきた(生もと造りとは、江戸時代に確立した手のかかる醸造方法)。今では珍しい木おけ仕込みなどにも力を入れる。
「実は品質にこだわるあまり、原材料であるコメのコストが非常に高くなってきてしまっていたんです。そのため、一度低価格帯の酒のコメの精米歩合を60パーセントから65パーセントに上げてみた。自分たちの技術ならばそれでもいい酒ができると思ったのですが、蓋を開けてみるとやはり60パーセントの方がよいという結果に。それで、扁平精米ならば、65パーセントでも目指すお酒ができるのではないかと考えたのです」と佐藤さんは扁平精米機導入の経緯を明かす。
新しい酒は2月から順次リリースとなったが、酒造りは試行錯誤の連続だった。「扁平精米の酒は、思ったよりすっきりとして、当初はボディー感が失われてしまった。うちの蔵は、アルコール度数が低い酒造りにこだわっているので、バランスが崩れてしまったんです」(佐藤さん)。そこで、最初はこうじにも用いていた扁平精米を、球形精米したコメに変更。そうして、半年ほどさまざまな研究を重ねるうち、ようやく味わいがまとまってきたという。「だから、最近リリースされたものは、最初の頃に比べ各段にいいお酒になっています」
扁平精米のコメを使用することで特に大きく味わいが向上したのが、火入れした日本酒のシリーズ「Colors(カラーズ)」の「生成 2019 -Ecru-」や生酒のシリーズ「No.6(ナンバーシックス)」の「R-type(アールタイプ) 2019」。客の評価も高いという。「扁平精米のコメを使った酒は、すっきりしているけれどのびやか。うまみがあるものの、余韻は長く残らずさっと引くようなイメージある。後味がきれいなので、薄味のだしを使った和食、例えば京風おでんなどとよく合うと思います」と佐藤さんは薦める。
大変な苦労をしながら、新政では今シーズン最後の酒は、こうじも含めまたすべて扁平精米のコメを使用することにした。理由は「その方が、より個性的な酒ができるから」だ。「うちはふくよかさ、まろやかさではなく、シャープな味を求めている蔵。だから、扁平精米と相性がいい。これからは、精米歩合が45、50パーセントとより低いものや、同70パーセントなど低精白の酒にも挑戦したい」と佐藤さんはあくなきチャレンジ精神をのぞかせる。
実は、新政より先に扁平精米による酒造りに取り組んだ蔵がある。富久長(ふくちょう)ブランドで知られる東広島市の今田酒造本店だ。精米機は高価で人手もかかるため、新政のように自社で精米をする蔵は限られている。しかし、蔵元で杜氏(とうじ)の今田美穂さんは「磨かなくてもいい酒ができる」という同郷のサタケの新精米機の話を聞いて驚き、19年から委託精米による扁平精米の酒のリリースを始めた。最初の酒は酒造好適米の最高峰と言われる山田錦を用い、精米歩合60パーセントながら大吟醸のようなきれいな味わいの酒になったという。
同蔵は、今年さらにユニークな商品を展開。飲み比べを意識して、扁平精米に加え、原形精米の酒を売り出したのだ。コメを平べったく磨く扁平精米に対して、原形精米は、材料となるコメのミニチュア版をつくるような形で精米する方法である。
それぞれ「HENPEI」「GENKEI」と名付けた酒には、広島で最も古い在来品種のコメ、八反草(はったんそう)を使用。精米歩合はいずれも60パーセントでコメの形以外は同じスペックで醸造した。「できるまで、どうなるか全くイメージがわかなかった」と今田さんは言うが、これが話題を呼ぶ商品に。扁平精米と原形精米ではタンパク値はほとんど変わらないにもかかわらず、味わいが大きく異なる酒となったからだ。
東京・台東の酒販店「合羽橋 酒のサンワ」で、扁平精米、原形精米の酒(火入れしたもの)を飲んだ。同店では、500円(税込み)でテイスティングメニューにある酒を2種類試飲できるのだ(大吟醸は同価格で1種類)。「この仕事をして10年ほどになりますが、精米だけでこんなに違うとは驚きました。扁平はドライで、原形はなめらかな味わい。お客様からも一様に大きなリアクションがありました」と同店の尾花寿美子さんは話す。
同店で試飲する客は日本酒ビギナーが多いというが、今田酒造の「HENPEI」「GENKEI」は、酒に詳しい客も「飲んでみたい」と興味を持ったという。「試飲後は、特にこれまでのお酒とは突出して異なる扁平精米のお酒を買われる方が多く、リピートされる方もいらっしゃいました」と尾花さん。「ドライなのですが、抜栓してからしばらく置いておくと、隠れていた複雑な味わいが出、余韻が長くなる」とその魅力を話す。
「日本酒はワインと比べられることがよくありますが、同じ醸造酒でも2つは全く異なります。ブドウとは異なり、コメはさまざまに手をかけないと発酵しません。醸造工程も複雑で、理解してもらうのが難しい。しかし、原料となるコメの形で味わいが変わるということは、ワインの世界の人は想像もしないことでしょう。コメの酒のすごさを分かりやすい形で伝えられると思うんです」と今田さんは言う。実際、4月下旬にオーストラリアの顧客30人ほどとビデオ会議サービスを使って勉強会を行った際には、質問が相次ぎ4時間ほどの長丁場になったそうだ。
今田さんも、佐藤さんと同じく今回が扁平精米のコメを用いた酒造りの「答え」ではないと考える。「もっと回数を重ね、経験を積み重ねていきたい」と、今後は精米歩合も変えるなどしてさまざまな造り方を試してみたいと意欲を燃やす。
「今日は扁平精米の酒にしようか」――居酒屋で客がそんな一言をつぶやく日も遠くないに違いない。
(フリーライター 大塚千春)
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