〈症例報告〉などもエビデンスとしては弱い。医療でいえば、臨床現場の医師からもたらされる「こういう患者さんがいました」「こうやったら治りました」といった報告がそれに相当する。もちろんこういった報告は大事で、より証拠能力が高い研究を行う動機になる。

〈動物実験〉も医療情報としてのエビデンスレベルは低い。衝撃的な内容の見出しの記事で、よくよく読んだら根拠が動物実験のみ、という場合は現在の医療や実生活に役立つかというよりも科学の発展を伝えるニュースと考えるのがよいと思う。

結局、人への影響を知るためには、人を見なければならず、それも一例だけではだめだ。そのため社会集団を見る〈観察研究〉が行われる。

(監修:今村文昭)

観察研究の中では、地域ごとに疾病の頻度などを記述する、〈地域相関研究(生態学的研究)〉や〈横断研究〉といったものがある。例えば、各地域の特定の食物の摂取と、特定のがんの罹患率との関係を調べる研究がそれにあたる。ある時点における集団の状態をまるで「写真」を撮るかのように観察して、より確かなエビデンスを得るためのきっかけとなる情報を引き出すものだとぼくは理解している。前項で出たインドのマスタード消費と心疾患患者の話もまさにこのタイプの研究だ。大いなる示唆を与えつつも、心疾患の原因がマスタードの摂取なのか、地域ごとに異なる別の何かなのか、この研究からは区別できない(だからこそ、数十年越しの今村さんの検証を待たねばならなかった)。

さらにもう一歩進むと、観察研究の疫学の中でも花形的な手法といえる、〈コホート研究〉と〈症例対照研究〉がある。これらの研究デザインでは、何が「原因」なのかを問い、いわゆる「因果推論」に踏み込むことになる。

まず、すでに話題にしたコホート研究は、前述の地域相関研究などのように、ある集団のある時点における「写真」をもとにするのではなく、時間経過とともに発生する疾病を観察する。つまり、何十年も長回しした「ビデオ」を元にした研究だ。長期間追跡しているわけだから、その中で、病気になった人たちと、病気にならなかった人たちと比較して鍵となる因子を探ることができる。

その一方で、過去の履歴を検証する症例対照研究では、すでに患者が発生しているような状況で、患者のグループと健康な人のグループを比較して影響したであろう因子を探る。疾病がすでに目の前にある状況からスタートして、過去にさかのぼって因子(たとえば、特定の仕出し弁当を食べたとか、同じ教室に長時間一緒にいた、など)を探るため、やはりこちらも研究の中に時間経過が内包されている。

これら2つの研究デザインの中では、一般にコホート研究の方がより信頼できるとされるが、実は研究デザインに優劣があるわけではなく、明らかにしたい課題に応じて向き不向きがあると理解した方がよい。

ぼくの理解では──

たとえば、稀な病気の因子を知りたい時、何十万人を追跡している大規模なコホートですら、分析に足るだけの症例数が確保できないかもしれない。そんな時は、すでにその病気になっている人たちを見つけて症例対照研究する方があきらかに向いている。また、新興感染症など新しく認識された課題で、今手にしうる最良の知識をなるべく早く得たいというような場合も、症例対照研究の方が有利なことがある。コホート研究をするには、基本的にはこれから病気になる人が出るのを待つことになるからだ。ぼくは、コホート研究が「疫学研究の華」だとすれば、症例対照研究は「疫学研究の機微」だと感じる。

そして、ここまでが社会集団の観察だったとすると、もう一歩、踏み込んで「実験」の域に達した研究デザインとして〈介入研究〉がある。特に、〈ランダム化介入研究〉、ちょっとむずかしい書き方をするなら〈無作為化比較対照試験(RCT)〉は、信頼性が高いとされる。たとえば、薬剤なりサプリメントなりの効果を知りたければ、研究対象になる集団を、本物や薬剤やサプリを与えるグループと、目的の成分が入っていない偽薬を与えるグループに無作為に分けて恣意的な偏りを排する。その際、医師や研究者の側にも、誰がどちらのグループに入っているのか分からないようにする二重盲検法が使われればなおよい。

ランダム化された介入研究の結果はとても重く扱われるものの、単一の研究では心もとない。複数の研究が違う結論を導くこともある。そこで、その分野の研究が増えて成熟してきたら、信頼できる研究を一定の基準と手続きで抽出してまとめる〈系統的レビュー〉や、データを統合して分析する〈メタアナリシス〉が試みられる。この結果は、一般にはとても強いエビデンスとされる。

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