2020/5/29

「研究室」に行ってみた。

さて、「エルカ酸をたくさんとると心臓によくないかもしれない」と示唆されたわけだから、このコホートの参加者でエルカ酸の血中濃度が高かった人たちが何を食べてそうなったのか、まずは気になる。今村さんの論文では、まさにエルカ酸の摂取源についても検討されている。今、北米でよく食べられている食品の中でエルカ酸が含まれるのは、魚、チキン、全粒穀物などだ。比較的、健康によいと期待されているものも多いようで、ショックを受ける方もいるかもしれないが、いずれもそれほどの量が含まれているわけではない。研究の中で血中のエルカ酸が多かった人たちが、どんな食事をしてそうなったのかは、結局はよく分かっていない。

では、どんな解析をして、結論に至ったのか。そちらの方が、ここでは「本題」だ。

今村さんはエルカ酸の心毒性との関連がありそうな代表的な疾患として「うっ血性心不全」に着目した(心臓病といっても心筋梗塞や不整脈、心不全などなど多岐にわたる)。エルカ酸の血中濃度が高かった人が、低かった人よりも「うっ血性心不全」を発症する確率が高ければ、エルカ酸が仮説どおり悪さをしているのかもしれないと考えられるだろうというのが研究の基本アイデアだ。集団を設定し、長期間追いかけて結論を得るコホート研究はこのようなロジックに基づいている。

ただし、単純に比較をすればよいというわけではない。というのも、「うっ血性心不全」のリスクを上昇させうる候補になる因子はエルカ酸だけではないのは明らかだからだ。たとえば、年齢は大きな要素で、若者には心疾患自体少ない。この研究では、開始時点で70代と50代と年齢的にはまとまった集団なのでそれほど気にする必要はないのだが、通常は「年齢調整」という操作をしないと、結果が根本的にゆがむ。ほかにも、考慮しなければならないものとして、体重、胴回り、血圧、コレステロール、血糖値、インスリン、他の脂質との組み合わせのパターンなど多くのものがあり、それぞれの影響を取り除かなければならない。

また、これだけの要素に注目して慎重に解析していっても、未知の情報のゆがみがあるかもしれない。たとえば、測定時のエラーなど今さら確認しようない。そういった知られざる間違いがどれだけあったら結果がどれだけ変わるかという「感度分析」なども行う。

この感度分析の一環として、今村さんは面白い検討を試みた。

「エルカ酸の摂取と脳卒中とは関係がなかった」ということを確かめることができれば、研究の説得力が増すのではないか、というのである。これはちょっと疫学的な検討の機微にふれるような気がするので紹介しておく。

「私の研究は『エルカ酸には心毒性がある(心筋細胞に脂肪がたまる)』という仮説を基にしています。ですから、脳卒中を発症するリスクとは関係ないはずなんです。それで実際に確かめて、関係なかったと言えました。でも、これって、もしも年齢や体重、血圧などの因子の影響が取り除けていなかったら、エルカ酸と脳卒中との関係が『見えてしまう』はずなんですよ。年齢や体重、血圧は、それ自体、脳卒中のリスクですから。つまり、脳卒中とは関係がなかったという結果を示すことで、それらの影響をちゃんと取り除けているという説得力も増したわけです」

以上、細かいことはともかく、「風合い」は伝わっただろうか。実際の分析の過程は非常に込み入っており、正直、訓練を受けた人でないとついていくことは難しい。ここではとても簡略化して描写したものの、それでも十分すぎるくらい複雑だったかもしれない。書いているぼくも、概念として理解しているだけだと申し添えておきたい。

さて、きちんとした疫学調査が行われる前にキャノーラオイルが普及したために、菜種油のエルカ酸のリスクは顕在化することなく終わった感がある。現状でもなんらかのルートでエルカ酸を多く摂取して、少し高リスクになっている人たちはいるわけだから、毎日、毎食のように使う食用油に含まれていたらこれでは済まなかったのではないだろうか。

「まあ、公衆衛生の歴史、脂肪酸の研究の歴史としてなかなか面白い話だと思っています。カナダの研究者は、エビデンスが弱いままキャノーラオイルを普及させて、ひょっとするとすごく貢献をしたのかもしれないですよね。でも、その貢献度を定量化するのは難しいです。とはいっても、私の研究が歴史を掘り起こすだけのものだったかというと決してそんなことはなくて、心不全の病理学的研究としても意味はあると思っています。またエビデンスとしては米国に限ったものですが、それでも英国や欧州の食品安全機関では、エルカ酸の危険性を今も結構気にしてるんですよ。インドなどの南アジアから食品を輸入しているのも一因です。この研究が出た後も、私のところにそういった機関の専門家からの質問が来ましたし、彼らの公的文書で私の論文も引用されています。さらに言えば、インドや中国ではエルカ酸が豊富な種類の葉野菜やマスタードオイルを今も消費しているので、私たちには直接関係ない話でも違う国の人たちにとっては意味のある話だと思っています」

なお、今、「エルカ酸+キャノーラオイル」で検索すると、「キャノーラオイルの危険性を告発する」というようなウェブサイトを多く見つけることができる。遺伝子組換えや製法をめぐって「とにかく危険!」と主張するものが多いが、この研究のエルカ酸の話とはまた別のことだ。ここでは、検討しないけれど、いずれにしても今村さんの目には「質が酷く考慮に値するものではない」と映っていることは書き記しておく。

=文・写真 川端裕人

(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2018年10~11月に公開された記事を転載)

今村文昭(いまむら ふみあき
1979年、東京生まれ。英国ケンブリッジ大学医学部MRC疫学ユニット上級研究員。Ph.D(栄養疫学)。2002年、上智大理工学部を卒業後、米コロンビア大学修士課程(栄養学)、米タフツ大学博士課程(栄養疫学)、米ハーバード大学での博士研究員を経て、2013年より現職。学術誌「Journal of Nutrition」「Journal of Academy of Nutrition and Dietetics」編集委員を務め、「Annals of Internal Medicine(2010~17年)」「British Medical Journal(2015年)」のベストレビューワーに選出された。2016年にケンブリッジ大学学長賞を受賞。共著書に『MPH留学へのパスポート』(はる書房)がある。また、週刊医学界新聞に「栄養疫学者の視点から」を連載した(2017年4月~2018年9月)。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、「マイクロプラスチック汚染」「雲の科学」「サメの生態」などの研究室訪問を加筆修正した『科学の最前線を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。