手が届きそうな空から撮影 地球の美と痛み、一目瞭然
モーターパラグライダーを使った低高度撮影の第一人者ジョージ・スタインメッツ氏。同氏が写真家たちに与えた影響は計り知れない。スタインメッツ氏の写真が魅力的なのは、何よりユニークな視点だろう。ナショナル ジオグラフィック誌の特集を担当するロバート・クンジク氏がスタインメッツ作品の魅力を語る。
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2020年3月13日の金曜日、私(筆者のロバート・クンジク氏)は最後にもう一度、人けのないナショナル ジオグラフィックのオフィスに戻った。この前日、オフィスは無期限の閉鎖を余儀なくされた。アースデイ50周年の特集を組んだ4月号に関する作業は終えていたが、今回の出来事ですでにかき消されてしまっていた。
私は、PCをしまい、無機質なコーヒーカップを洗い、遅ればせながら机を消毒した。アースデイ自体に思いを馳せ、オフィスに1部だけあったジョージ・スタインメッツ氏の素晴らしい新刊『The Human Planet(人間の惑星)』を手に取った。
それは、ここで紹介する写真を選んでフォトエディターがつけた付箋紙で彩られていた。この導入文を書くため、私にはその本が必要だった。だが、フォトエディターのではなく、私自身のコーヒーテーブルに永遠に飾られることになってしまうかもしれないという漠然とした考えもあった。先が読めない時期にあっては、でき得る限りの機会をつかみ取らなければならない。
第1回のアースデイは1970年のことだった。スタインメッツ氏はまだ12歳。同氏は、第1回アースデイのことをよく覚えていないという。スタインメッツ少年は、米カリフォルニア州ビバリーヒルズの裏庭に生える木々に登り、そこから見る景色が好きだった。当時のカリフォルニアの人口は約2000万人で世界人口は約37億人、現在のちょうど半分ほどだった。
1979年、同氏は、石油探索の仕事に備え地球物理学を学んだスタンフォードを離れ、カメラを携え1年をかけてアフリカ中をヒッチハイクした。7年後、同氏の写真は、ナショナル ジオグラフィックに初めて掲載され、その後、数多くの写真が誌面を飾ることになる。探索は行ったが、石油のためではなかったのだ。
新たなものを発見したり、古いものを新しい見方で見たりすると、とても気分がいいのはなぜだろうか? この質問に答えることができるのなら、多くのジャーナリストの気持ちを理解できるだろう。スタインメッツ氏は、非常に独創的だった。
常に上空からの視点を好み、ヘリコプターや飛行機、木の上から写真を撮った。しかし、1998年の中央サハラでの撮影では、そのどれもが利用できなかった。そこで、モーターパラグライダーの操縦を学び、「ドローンが登場するまで、およそ15年はモーターパラグライダーを使いました。ドローンにより、かつては私の専売特許だった低高度撮影が普及していきました」と同氏は最近語った。
低高度からの眺めは「広範かつ詳細なもの」だと、著名な環境ジャーナリストのアンドリュー・レブキン氏は『The Human Planet』の本文で指摘している。我々は人新世(人間が地球に与える影響により定義された地質時代)に生きているという考えは、多くの環境保護主義者をぞっとさせる。スタインメッツ氏は、「たまたま環境保護主義者になった」と同氏は書いている。
彼を100カ国に駆り立てたのは好奇心であり、彼を空に引きつけたのは喜びだった。同氏は、人間が数と力において急激に増大していること、そして人間の影響が地球規模で不可避なものになりつつあることを、たまたま近くで見ていただけなのだ。
スタインメッツ氏の写真には、絶妙な距離感がある。我々が地球に何をしているのかが見える程度には離れているが、関係ないと感じるほどには離れていない。その写真には、限界を感じられるものの、驚きと可能性が輝いている。
「我々は、自然と闘い続けることはできない。自然との平和を築かなければならないのだ。そのためには、我々全員が、ある程度譲歩する必要があるだろう」と同氏は書く。現在の奇妙で不安な日々の中、この知恵が広がりを見せんことを。
次ページでもスタインメッツ氏が独自の視点でとらえた地球の美と痛みをご覧いただきたい。
(文 ROBERT KUNZIG、写真 GEORGE STEINMETZ、訳=牧野建志、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2020年4月27日付の記事を再構成]
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